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Research Article

“Exclusivity” and quantifier float in bakari

[version 1; peer review: 4 approved with reservations]
PUBLISHED 14 Dec 2021
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Abstract

This paper presents a descriptive study that analyzes the semantic meaning of Toritate focus particle bakari. Previous studies reported that, although bakari expresses exclusivity, it is characterized by the fact that it permits non-applicable cases, thereby drawing the conclusion that the meaning of bakari is not exclusivity. This paper argues that bakari does indeed denote “exclusivity” as bakari is supported by the phenomenon that non-applicable cases are unacceptable when bakari co-occurs with floating quantifiers. Considering existing research on this subject, the following was observed. Even though the subjective set, as established by the speaker’s past experiences to interpret the meaning of bakari, may not be consistent with the real world, the number of events that form the said set match the number of real-world events when bakari co-occurs with floating quantifiers due to the characteristics of floating quantifiers. In such cases, bakari does not permit non-applicable cases. The interpretation that permits non-applicable cases applies to situations where the set established by the speaker is fixed at a narrower range than the real world, and the non-applicable cases exist outside the set. We thus conclude that bakari denotes “exclusivity” that does not permit non-applicable cases.

Keywords

とりたて詞, ばかり, 遊離数量詞, 限定, Toritate focus particle, bakari, exclusivity, floating quantifiers

1. はじめに

とりたて詞「ばかり」は,「だけ」「しか」と同様に限定を表すとされるが,一見するとその位置づけに検討の余地があることを示すような特徴を持つ。それは,非該当例1を許容するという特徴である。例えば,次の文において,白いシャツ以外(例えば赤いシャツ)も購入している,あるいは三毛猫以外(例えば黒猫)も集まっている場合,「だけ」や「しか」を含む (1ab) (2ab) は成立しないのに対し,「ばかり」を含む (1c) (2c) は成立する。

  • (1) 【白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚購入した場合】

    • a. # 白いシャツだけを購入した。2

    • b. # 白いシャツしか購入しなかった。

    • c. 白いシャツばかりを購入した。

  • (2) 【三毛猫が 40 匹,黒猫が 10 匹集まった場合】

    • a. # 三毛猫だけが集まった。

    • b. # 三毛猫しか集まらなかった。

    • c. 三毛猫ばかりが集まった。

これは,「だけ」「しか」は非該当例を許容しないのに対し,「ばかり」は非該当例を許容するということを示している。「ばかり」がこうした特徴を持つことは既に指摘されており,それを踏まえて「ばかり」は限定を表すものではないと指摘する研究もある。

しかし,「ばかり」は環境を問わず非該当例を許容するわけではない。例えば,(1c) (2c) に遊離数量詞3を加えた次の文は,(1) (2) と同様の場合には成立しない。

  • (3) 【白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚購入した場合】

  • # 白いシャツばかり1000 枚購入した。

  • (4) 【三毛猫が 40 匹,黒猫が 10 匹集まった場合】

  • # 三毛猫ばかり50 匹 集まった。

(3) (4) は作例であるが、コーパスにおいても「ばかり」に数量詞が後続した文が存在し、これらについての母語話者の内省判断において (3) (4) と同様に非該当例が許容されないことを確認している4。このことは,「ばかり」は遊離数量詞と共起する場合には非該当例を許容しないということを示している5。本稿は,現代語を対象とした記述言語学的研究の一環で,コーパスのデータと母語話者の内省に基づき,この現象について,先行研究の指摘から導き出される遊離数量詞の特徴と関連づけて考察し,その要因を明らかにするものである。さらに,これが「ばかり」の意味について示唆的な現象であることを指摘し,その意味について考察する。分析にあたっては,注 4 ほかで触れたとおり,「現代日本語書き言葉均衡コーパス」(BCCWJ) において本稿で扱う遊離数量詞と共起する「ばかり」に該当する用例,および作例の意味解釈について,日本語母語話者である筆者らの言語直観で判断する。本稿の主張は次の通りである。

  • (5) a. 遊離数量詞は,事態の数量を表す(数量を事態の数量として表し直す)。

  • b. 「ばかり」は,遊離数量詞が共起することで,話者による主観的な集合を形成する事態の数量が,現実世界の事態の数量と一致する解釈となるため,結果的に非該当例が存在する可能性を排除する。

  • (6) とりたて詞「ばかり」の意味は限定であり,非該当例は「ばかり」が問題にする集合6の外部においてのみその存在が許容され得る。

2. 先行研究の指摘と本稿の主眼

「ばかり」が非該当例を許容することは,従来様々な研究において指摘されてきた(菊地 1983西村 1994定延 2001澤田 2007日本語記述文法研究会編 2009佐藤 2017 など)。以下では,その要因についても言及している定延 (2001) 佐藤 (2017) を取り上げ,それぞれの指摘を概観した上で本稿の主眼とするところを明確にする。

2.1 定延 (2001) の指摘

まず,定延 (2001) の指摘を概観する。定延 (2001) は,「探索」という概念を用いて「ばかり」について考察している。「探索」とは「認知領域の拡大行動」(定延 2001: 118)であるが,定延 (2001) は,「ばかり」にはその「探索」が「二重に関わってくる」(定延 2001: 135) と指摘している。例えば,「ばかり」を含む次の (7) の文の場合,初めに (8a) のような,次に (8b) のような「探索」が行われるとされる。

  • (7) この人物が食べたのはミカンばかりだ (定延 2001: 129,下線は筆者)

  • (8) a. 【探索①】問題の人物が食べたモノを探索領域とし,[品種は何か]を探索課題とする探索7定延 2001: 129,【 】内は筆者)

  • b. 【探索②】探索の集合を探索領域としてそれらがどういう探索なのか,〔筆者略〕1 探索ずつスキャニング探索 (定延 2001: 129,下線と【 】内は筆者)

その上で,(7) の文はこの「二重」の「探索」のうち,(8b) の「探索」によって次のような結果が得られたことを表現しているとされる。

  • (9) 【探索②の結果】すべて[ミカン]という情報を得た探索だ (定延 2001: 129,下線と【 】内は筆者)

定延 (2001) の議論において重要となるのは,「ばかり」を含む文が (8b) の「探索」の結果を表現するという点である。(8a)と (8b) の「探索」は,前者が「世界のありさま」を「探索領域」とするのに対し,後者は「世界探索の集合のありさま」を「探索領域」とするという点で異なるが(定延 2001: 134),定延 (2001) によれば,後者の場合は非該当例の有無は大きな問題にならないとされる。定延 (2001)は,次の (10) の例を基に (11) のように述べている。

  • (10) 先週はうどんばかり食べた (定延 2001: 134,下線は筆者)

  • (11) 「先週食べたものはうどんがすべてなのか,それともうどんは大部分にすぎず他に何か食べたのか」という問題は,世界のありさまを表現する場合は大きな問題で,仮にうどんが大部分にすぎないにもかかわらず「うどんがすべて」と表現すれば誤りになる。しかし,世界探索の集合がどのような集合であるかを表現する際には,世界じたいについては,多少印象的・感覚的になっても問題ではなく,「うどんをやたら多く見出す世界探索の集合」であることに変わりはないとしてしまえる原注20。 (定延 2001: 134,下線は筆者)

2.2 佐藤 (2017) の指摘

これに対し,佐藤 (2017) は「探索の領域が〔筆者略〕探索という行動の集合である場合に,多少は印象的・感覚的であってもよいという説明に,妥当性はあるのだろうか」(佐藤 2017: 7)と疑問を呈し,「ばかり」が非該当例を許容する要因について,定延 (2001) とは異なる議論を展開している。

佐藤 (2017) は,「認識的際立ち性」という観点から「ばかり」の振る舞いを説明している。佐藤 (2017) によれば,「認識的際立ち性」とは次のようなものである。

  • (12) ここ〔筆者注:佐藤 (2017)〕で言う「認識的際立ち性」とは,当該の主体にとって何らかの意味において容易に捉えられるもの,捉えずにはいられない際立ちをもつものである。 (佐藤 2017: 9)

佐藤 (2017) は,集合を問題にする言語形式には,予め確立されている客観的な集合だけでなく,話者の経験に根差して形成された主観的な集合に関与するものがあると述べ(佐藤 2017: 8),その一例として「ばかり」を挙げている。また,後者の集合が形成されるに当たっては様々な動機があり得るとしており(佐藤 2017: 4-5),特に「ばかり」が関与する集合が形成される動機となるのが「認識的際立ち性」であると指摘している(佐藤 2017: 9)。

佐藤 (2017) によれば,「ばかり」が用いられるに当たっては,「認識的際立ち性という動機づけに支えられ,その特徴を有する事態のみを成員とする経験記憶の集合が形成される」(佐藤 2017: 9)とされる。例えば,佐藤 (2017) は次の (13) の文が発話されるに至る過程を (14) のようにまとめている。

  • (13) あなた,学校に遅刻してばかりでどうするの (佐藤 2017: 3,傍点を下線に改変)

  • (14) 「ばかり」の集合形成の事例②

    • a. 母親が娘の登校時間を気にしながら日常生活を送る。

    • b. 週 2 回のペースで娘の学校への遅刻という認識的際立ち性を有する事態を知覚する。

    • c. 「娘の遅刻」という認識的際立ち性を有する事態のみから成る経験記憶の集合が形成され,「遅刻してばかり」という認識にいたる。佐藤 2017: 10,下線は筆者)

仮に,週 6 日制の学校に「週 2 回のペース」で遅刻した場合,週 4 回は遅刻していないことになり,(13) の文においてはそれが非該当例となる。しかし,「認識的際立ち性」という特徴を持つもので構成される主観的な集合には「遅刻」のみが含まれる,言い換えれば「非遅刻」は含まれないため8,(13) の文が問題なく成立するとされるのである。

2.3 本稿の主眼

以上,定延 (2001)佐藤 (2017) の議論を概観した。いずれにおいても「ばかり」が非該当例を許容する要因について興味深い指摘が見られるが,佐藤 (2017) も述べているように,定延 (2001) の指摘には検討の余地がある。これを踏まえ,本稿では「ばかり」が非該当例を許容する要因について,佐藤 (2017) の考えを採る9

一方で,「ばかり」と非該当例の関係については,従来考察の対象とされていない問題がある。それは,「ばかり」が非該当例を許容しない環境があるということである。例えば,次の文はいずれも「ばかり」を含むため,先行研究に倣えば非該当例(「赤いシャツ」「黒猫」)が存在していても成立することが予測されるが,(15b) (16b) については成立しない。

  • (15) 【白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚購入した場合】

    • a. 白いシャツばかりを購入した。 (=(1a))

    • b. # 白いシャツばかり1000 枚購入した。 (=(3))

  • (16) 【三毛猫が 40 匹,黒猫が 10 匹集まった場合】

    • a. 三毛猫ばかりが集まった。 (=(2a))

    • b. # 三毛猫ばかり50 匹集まった。 (=(4))

(15a) (16a) と (15b) (16b) の相違点は,後者には数量詞が生起しているという点である。これは,一見すると「ばかり」が数量詞と共起する場合は非該当例が許容されないということを示しているように見える。ただし,「ばかり」と数量詞が共起していても,非該当例が許容される場合もある。例えば,次の文ではいずれも「ばかり」と数量詞が共起しているが,非該当例(「男性」)が存在する場合,(17a) は成立しないのに対し,(17b) は成立する。

  • (17) 【女性を 400 人,男性を 100 人招待した場合】

    • a. # 女性ばかり 500人招待した。

    • b. 招待した 500 人は女性ばかりだ。

つまり,「ばかり」と数量詞が共起していても,(15b) (16b) (17a) は非該当例を許容しないのに対し,(17b)はそれを許容するということになるが,これらは数量詞のタイプが異なる。先行研究では,(15b) (16b)(17a) の数量詞は,(17b) の数量詞に対して遊離数量詞と呼ばれて区別されている。この点を踏まえると,(15) (16) (17) は次のことを示していると言える。

  • (18) 「ばかり」は非該当例を許容し得るが,遊離数量詞と共起する場合はそれを許容しない。

前述の通り,先行研究では「ばかり」が非該当例を許容することやその要因については指摘されてきたが,「ばかり」がそれを許容しない環境があることについて指摘・考察した研究は管見の限り存在しない。従って,本稿ではこの (18) の現象の解明を主眼とし,その要因を明らかにする(3節)。さらに,この現象を踏まえて「ばかり」の意味についても考察する(4節)。

3. 「ばかり」と遊離数量詞

まず,(18) の現象の要因について考察する。以下では,この現象を説明するに当たって重要となる「ばかり」の特徴,及び遊離数量詞の特徴について確認し (3.1 節,3.2 節),それらを踏まえてこの現象の要因を明らかにする(3.3 節)。

3.1 事態(の数)から見る非該当例の許容

まず,佐藤 (2017) の議論の中で特に (18) の現象と密接に関わると考えられる指摘を確認する。前述の通り,佐藤 (2017) は「ばかり」と「認識的際立ち性」の関わりを指摘しているが(2.2 節),特に「ばかり」が問題にする集合について次のように述べている。

  • (19) 認識的際立ち性という動機づけに支えられ,その特徴を有する事態のみを成員とする経験記憶の集合が形成される。 (佐藤 2017: 9,下線は筆者)

また,佐藤 (2017) は「認識的際立ち性」が生じる要因の 1 つとして次の (20a) を挙げ,これについて (20b) のように述べている。

  • (20) a. 知覚経験される事態の数が多い。最低でも複数である。 (佐藤 2017: 11,下線は筆者)

  • b. 一度の失敗しか経験されていない場合,「失敗ばかり」とは言えないだろう。したがって,この要因は「ばかり」が使われるための必要条件である原注6。 (佐藤 2017: 11,下線は筆者)

このように,佐藤 (2017) は「ばかり」が問題にする集合に含まれるのは「事態」であり,その数が「多い」ことが「ばかり」が用いられる要件であると指摘している。このことは次のようにまとめられる。

  • (21) a. 「ばかり」は事態を問題にする。10

  • b. 「ばかり」は事態の数が多いと認識されれば用いられ得る。

次に,この (21) に注目しつつ,「ばかり」が非該当例を許容する背景について改めて検討する。前述の通り,次の (22) の文は (23) の状況において問題なく成立する。

  • (22) 白いシャツばかりを購入した。

  • (23) 白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚,計 1000 枚のシャツを購入した。

このとき,「ばかり」が事態を問題にするということ ((21a)) を踏まえると,(22) の文が成立するに当たり,(23) の状況は次のように捉え直されていると考えられる。

  • (23’) 「白いシャツを購入する」という事態が 900,「赤いシャツを購入する」という事態が 100,計1000 の「購入する」という事態が生じた

つまり,(22) の文が成立するということは,事態の総数は 1000 であるものの,「ばかり」はそのうちの 900 の事態 のみを問題にすることが可能ということになる。このとき,(22) では「白いシャツを購入する」という事態の数が多いということは間接的に表現され得るが11,その具体的な数(総数に一致する数なのか,あるいはそれに近い数なのか)には関与していない。つまり,「ばかり」は次のような特徴を持つのであり,これが背景となって非該当例が許容されることになると言える。

  • (24) 「ばかり」は,(事態の総数が文脈上示されている場合でも)問題にする事態の具体的な数には関与しない。

3.2 遊離数量詞と事態の数量

次に,遊離数量詞に関する先行研究の指摘を見る。矢澤 (1985) は,本稿での遊離数量詞に当たる「NCQ型」の数量詞12について,「何らかの形で動詞の表す動作・作用に関連した数量を表しているのではないか」(矢澤 1985: 104)と述べ13,「NCQ型」の数量詞とそれ以外の数量詞の相違点について次のように指摘している。

  • (25) NCQ型の数量詞〔筆者注:本稿での遊離数量詞〕は,述部に直接関わり,その述部の表す動作・作用の上で先行名詞句と間接的な意味的関係を結ぶのに対し,NCQ型以外の型の数量詞は,先行名詞句に直接関わり,先行名詞句が述部と関わることによって,数量詞と述部との間接的な関係ができると考えるのである。 (矢澤 1985: 105-106,下線は筆者)

この指摘は,遊離数量詞が事態と密接に関わることを示している。具体的には,遊離数量詞は次のような特徴を持つと言える。

  • (26) 遊離数量詞は,事態の数量を表す(数量を事態の数量として表し直す)。 (=(5a))

3.3 遊離数量詞共起下において非該当例が許容されない要因

以上の点を踏まえ,「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合に例外を許容しなくなる現象の要因について検討する。次の例を見られたい。

  • (27) 白いシャツばかり1000 枚購入した。 (=(3))

前述の通り,「ばかり」はその集合の数量には関与しないが ((24)),遊離数量詞は明示的にその事態の数を表す。(27) の文で言えば,「1000 枚」という遊離数量詞が生起することで,次のようなことが表される。

  • (28) 問題になる「白いシャツを購入する」という事態の数は 1000 であった。

これにより,「ばかり」が問題にする「白いシャツを購入する」という事態の数が 1000 にいわば固定され,結果的にその中に他の事態(「赤いシャツを購入する」など)が存在する余地がなくなるのである。つまり,「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合に非該当例を許容しない要因は次のようにまとめられる。

  • (29) 「ばかり」は,遊離数量詞が共起することで,話者による主観的な集合を形成する事態の数量14が,現実世界の事態の数量と一致する解釈となるため,結果的に非該当例が存在する可能性を排除する。 (=(5))

4. 「ばかり」の意味について

次に,「ばかり」の意味について考察する。以下では,まず,「ばかり」が非該当例を許容する現象に触れる先行研究のうち,「ばかり」の意味にも言及するものの指摘を概観し,併せてその問題点を明らかにする (4.1 節)。その上で,「ばかり」の意味はあくまで限定と捉えるべきであると主張する (4.2 節)。

4.1 先行研究の指摘と問題の所在

とりたて詞「ばかり」の意味については既に様々な先行研究において考察されており,多くの場合,「ばかり」は限定を表すとされる(丹羽 1992益岡・田窪 1992中西 1995沼田 2009 など)。しかし,特に「ばかり」が非該当例を許容する現象に触れる先行研究においては必ずしもそうではない。以下では,「ばかり」が非該当例を許容する現象に触れつつ「ばかり」の意味についても言及している日本語記述文法研究会編 (2009) 澤田 (2007) を取り上げてその指摘を概観し,併せてその問題点を明らかにする。

4.1.1 日本語記述文法研究会編 (2009) の指摘とその問題点

まず,日本語記述文法研究会編 (2009) は次のように述べ,「ばかり」は限定を表すと主張している。

  • (30) 「ばかり」は,とりたてた要素が唯一のものであることを示し,ほかのものを排除するという限定の意味を表す。(日本語記述文法研究会編 2009: 61,下線は筆者)

また,日本語記述文法研究会編 (2009) は次の (31) の文について (32) のように述べ,「ばかり」が非該当例を許容することに触れている。

「ばかり」が限定を表すことと非該当例を許容することには一見すると理論的矛盾がある。しかし,日本語記述文法研究会編 (2009) によれば,「ばかり」が表す限定には次のような2つの下位分類があり,非該当例が許容される (31) の文では,このうち (33b) のような「限定の仕方」が採られているとされる。

  • (33) a. とりたてた要素が唯一のものであることを示し,ほかのものを排除するという限定の仕方 (日本語記述文法研究会編 2009: 62)

  • b. とりたてた要素が関わる事態が何度も繰り返されることや,とりたてた要素が重なって多数にのぼることを表すという限定の仕方 (日本語記述文法研究会編 2009: 62,下線は筆者)

日本語記述文法研究会編 (2009) の指摘は,非該当例の許容という現象について限定という意味の下で説明しようと試みている点で注目に値する。しかし,その説明には不十分な点がある。確かに,(31) の文は「コーヒーを出す」という事態が複数回生じていなければ成立せず,その点で (33b) において述べられているように「何度も繰り返されること」「多数にのぼること」を表していると言える。しかし,その (33b) を (30) の下位分類としていることには問題がある。具体的に言えば,「何度も繰り返されること」「多数にのぼること」((33b))と「唯一のものである」「ほかのものを排除する」((30)) ということには隔たりがある。それにもかかわらず,日本語記述文法研究会編 (2009) ではその点について特段の言及がなされていないのである。この点に鑑みれば,日本語記述文法研究会編 (2009) の説明は十分とは言えない15

4.1.2 澤田 (2007) の指摘とその問題点

これに対し,澤田 (2007) は「ばかり」の(主たる)意味は限定ではないと主張している。澤田 (2007) は,菊地 (1983) が挙げる次の(34)の文について (35) のように述べている。

  • (34) この一週間そばバカリ食べたよ。 (菊地 1983: 58,下線は筆者)

  • (35) 「ばかり」を使用する第一の目的は,「毎日そばを食べた」とカテゴリーを限定するというより,話し手が「この一週間を思い起こせば,よくそばを食べた,それは通常の一週間より多すぎた」ということを伝える方が重要であり,その二次的な効果として明示された要素に対比される要素(明示された要素以外にその現象を成り立たせる可能性のある要素)がその観察された中に少なかった。または,なかったと伝えることになる。派生的に,限定的解釈がでてくるのである。 (澤田 2007: 118-119,下線は筆者)

このように,澤田 (2007) は,「ばかり」は「通常より多い」ということを表すのであり,限定(的解釈)はそこから「派生」する「二次的な効果」であると捉えている。つまり,限定は「ばかり」の意味ではなく,言わば語用論的効果であるとしているのである。

澤田 (2007) の指摘において注目されるのは,「ばかり」が問題にする集合と非該当例の関係である。(35) では,「ばかり」は場合によっては「明示された要素に対比される要素」が「観察された中に少なかった」ということを伝え得るとされている。これは,「ばかり」が問題にする集合に「明示された要素に対比される要素」が含まれていても構わないということを意味する。澤田 (2007) の言う「明示された要素に対比される要素」が本稿での非該当例に当たると推察されることを踏まえると,澤田 (2007) は次のことを示唆していると言える。

  • (36) 「ばかり」は,問題にする集合に非該当例が含まれていても用いられ得る。16

しかし,「ばかり」と遊離数量詞が共起した場合の現象を踏まえれば,この (36) は否定せざるを得ない。本稿では,3 節において,非該当例を許容し得る「ばかり」が遊離数量詞と共起した場合にそれを許容しなくなるという現象について考察した。その要因を検討する過程で,遊離数量詞が共起することで,話者による主観的な集合を形成する事態の数量が,現実世界の事態の数量と一致する解釈となるということを指摘したが ((29)),これは次のことを意味する。

  • (37) 遊離数量詞の共起によって,「ばかり」が問題にする集合(に含まれる事態の数)が遊離数量詞によって示される現実世界の集合と同一の集合に固定される。

仮に,澤田 (2007) が示唆するように,「ばかり」は問題にする集合に非該当例が含まれていても用いられ得るとすれば,遊離数量詞によって「ばかり」が問題にする集合(に含まれる事態の数)が固定された次の文も,場合によっては「1000」の「購入する」という事態の中に非該当例(「赤いシャツを購入する」)が含まれていても成立するということになるが,次の文がそうした状況下では成立しないことは前述の通りである。

  • (38) 【白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚購入した場合】

  • # 白いシャツばかり1000 枚購入した。 (=(3))

4.2 「ばかり」の意味

以上,「ばかり」が非該当例を許容する現象に触れる先行研究における「ばかり」の意味に関する指摘を確認したが,いずれにおいても問題があると言える。これに対し,本稿では「ばかり」の意味について次のように主張する。

  • (39) とりたて詞「ばかり」の意味は限定であり,非該当例は「ばかり」が問題にする主観的な集合の外部においてのみその存在が許容され得る。 (=(6))

まず,「ばかり」は限定,即ちとりたてた要素(事態)が唯一存在し,他のものを排除する17ということを表すと主張する。前述の通り,「ばかり」の意味が限定でないとすると,遊離数量詞と共起した場合に非該当例が許容されない現象を説明することができないためである。

ただし,その限定は「認識的際立ち性」などに起因して形成される主観的な集合の内部に対してのものである。従って,現実世界において客観的には非該当例が存在していても,それが(「認識的際立ち性」を持たないが故に)「ばかり」が問題にする集合に含まれなければ,「ばかり」は用いられ得るのである。

5. おわりに

本稿では,「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合に非該当例が許容されない現象を取り上げ,その現象が,「ばかり」が問題にする集合に含まれる事態の数量が遊離数量詞によって現実世界の事態の数量と一致する解釈になることに起因することを明らかにした。また,これを通して,とりたて詞「ばかり」の意味は限定であると主張した。この主張は多くの先行研究に見られるものであるが,「ばかり」が非該当例を許容することを認めた上でそのように主張する研究はほとんど存在せず18,その点で,「ばかり」は限定を表すと考えざるを得ない現象にも触れつつその主張を明示したことに意義があると考える。

ところで,本稿では,佐藤 (2017) の指摘を踏まえ,「ばかり」が問題にするのは現実世界を反映する予め確立された客観的な集合ではなく,自己の経験に根差して形成される主観的な集合であると捉えることにより,限定という意味の下で非該当例の許容という現象が説明されると論じた。これは,「ばかり」の意味記述においては,その意味の対象となる集合(以下,対象集合)が重要となることを示しているが,この対象集合という視点の有用性は,「ばかり」の意味記述に限られるものではないと考える。まず挙げられるのは,他のとりたて詞の意味記述に当たっての有用性である。管見の限り,従来のとりたて詞研究で は,とりたて詞各語について対象集合が詳細に議論されることや,それぞれの対象集合の設定のされ方の異同を本格的に取り上げた考察はほとんど行われていない。他のとりたて詞についても対象集合に関する考察を深めることで,個別のとりたて詞の意味やとりたて詞全体の意味体系の記述の精緻化が可能となろう。また,とりたて詞に留まらず,非該当例を許容しないとされる諸形式の意味記述に当たってもこの視点が有用であると考えられる。 例えば,全称量化詞などと呼ばれる「全部」「みんな」,さらに「常に」「いつも」などは,基本的には非該当例を許容しないとされるが,「みんな」や「いつも」など一部の形式については非該当例を許容し得る。このこと自体は既に佐藤 (2017) で指摘されており,意味的な観点からその要因を明らかにしようとする研究も存在する(大塚 20202021)。しかし,対象集合に注目して再検討することで,先行研究において未だ解明されていない点について説明を与えることが可能になると考える。これらについては稿を改めて論じることとする。

データ可用性

本論文の研究結果の基礎となるデータは,すべて本論文中に示されており,追加のソースデータは必要とされていない。例外として,注4で示したデータ絞り込みの結果,判断を加えた42例の提示は,国立国語研究所による現代日本語書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)「中納言」より入手できる。同コーパス利用には登録が必要だが,他の研究者も著者と同じようにデータにアクセスできる。登録方法については https://chunagon.ninjal.ac.jp/auth/login?service=https%3A%2F%2Fchunagon.ninjal.ac.jp%2Fj_spring_cas_security_check を参照されたい。

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Otsuka T, Shirakawa R, Hashimoto O and Numata Y. “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 1; peer review: 4 approved with reservations]. F1000Research 2021, 10:1276 (https://doi.org/10.12688/f1000research.55582.1)
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Approved with reservations A number of small changes, sometimes more significant revisions are required to address specific details and improve the papers academic merit.
Not approvedFundamental flaws in the paper seriously undermine the findings and conclusions
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VERSION 1
PUBLISHED 14 Dec 2021
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42
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Reviewer Report 21 Jan 2022
Yasuto Kikuchi, Faculty of Letters, Kokugakuin University, Tokyo, Japan 
Approved with Reservations
VIEWS 42
1 査読者による要約
先行研究では、バカリは「限定」を表すとしばしば主張されてきたが、その一方で、バカリは「非該当例」を許容するとも指摘されており、この点で「限定」と捉えるのは不適当であるという指摘も行われてきた。この論文は、(1) 遊離数量詞を含む文のバカリは「非該当例」を許容しないという事実を指摘した、(2) (1)の事実について、なぜそうなのかという理由の説明を提示した、(3) (1)の事実をもとに、バカリは「限定」を表すと捉えるべきであると主張した[4.2]、の3点が骨子である。

2 評価できる点
(1)の事実の指摘[2.3.後半]は、最も評価してよい点である。
なおまた、取り上げるべき先行研究にほぼ粗漏はなく(ただし,後掲10参照)、先行研究への理解も適正のようである。

3 評価できるというほどでもないが、問題ではない点
(2)の理由の説明[3.3]は、内容としては成立はしているように思われる。
ただ、こうした趣旨のことを述べるのに、ここまで難しげに述べなければならないものか、という印象はある。多数の文法研究者に、こうした趣旨で説明文を書いてほしいという課題を課したら、もっとすっきりした答案がありうるように思う。その意味で、内容的には問題はないにせよ、評価できるというほどでもない、というレベルにとどまっている。

4 問題点
上記(3)の主張[4.2]は、残念ながら、十分な説得力をもつ論証を伴っていない。この点について、著者に理解してもらうために、以下に詳述する。

5 問題点の詳述
(1)により明らかになったのは、
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HOW TO CITE THIS REPORT
Kikuchi Y. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 1; peer review: 4 approved with reservations]. F1000Research 2021, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.59172.r112372)
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    菊地先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,可能な限りご回答申し上げます(以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております)。なお,すべてのご意見に対して十分なご回答をご用意することはできませんでしたが,第2稿では構成・論じ方を含めて修正を施しました。依然として不十分な点があるかと存じますが,その点につきましては改めてご指摘いただければ幸いです。

    1.「5 問題点の詳述」におけるご意見について
    ご意見をくださりありがとうございます。確かに,第1稿では,「ばかり」は遊離数量詞と共起する場合に「限定」を表し,遊離数量詞と共起しない場合は「限定」を表さないかのように述べられております。しかし,これは筆者の述べ方の不備によるものであり,本来の意図はそうではありませんでした。
    筆者は,「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合に非該当例が許容されないという現象について,“「ばかり」は(遊離数量詞との共起の有無を問わず)集合の内部に非該当例が無いことを表す(=「限定」を表す)”ということを示唆していると考えております。つまり,「ばかり」と数量詞の共起については,「ばかり」の「無標」のケース,あるいは「普通」のケースと捉えているのではなく,「ばかり」の意味について示唆的な現象を観察することできるケース(の1つ)と捉えております。第2稿では述べ方を全面的に修正し,この点が明確になるようにいたしました。

    2.「9 その他の問題点 例文の適否判断に疑問がある点」におけるご意見について
    確かに,第1稿(17b)を(17a)と同様に「#」と判定する話者が存在する可能性は否定できません。そうであれば,ご指摘いただいたように「数量情報との合致」が重要ということになると考えられます。一方で,相対的にはやはり(17b)の方が文脈的自然度は高いとも考えております(第2稿注12)。つまり,「数量情報との合致」が重要ではあるものの,その情報が「事態」の数量である場合にはより強固な「合致」が求められると考えております。

    3.「9 その他の問題点 澤田(2007)の紹介と論評の部分」におけるご意見について
    確かに,澤田(2007)は「ばかり」の振る舞いについて遊離数量詞と関連付けて議論しているわけではなく,それはご指摘の通り「その時点で留意されていなかった」ためであると思われます。しかし,澤田(2007)について,第1稿では遊離数量詞が生起する場合の現象に触れていない研究として取り上げているわけではなく,“「ばかり」の意味は「限定」ではないと主張する研究”として取り上げております。これは第1稿の主張と対立するものであるため,「澤田(2017)の指摘とその問題点」というタイトルで取り上げた次第です。
    ただし,第1稿は筆者の意図が十分に伝わりにくい記述になっておりました。また,第1稿における澤田(2007)の位置づけには不十分な点がございました。これらを踏まえ,第2稿では澤田(2007)との関係性に関わる部分の記述を修正いたしました(第2稿4.2節・4.3節)。
    なお,ご指摘の通り,澤田(2007)による「派生」「二次的」という表現を「語用論的」と言い換えていたことは不適切でしたので,第2稿ではこれを削除いたしました(第2稿4.2節(35)の直後)。ご指摘いただきありがとうございました。

    4.「10 参考文献」におけるご意見について
    安部(2000)を参考文献に加えました(第2稿注17,参考文献欄)。ご指摘いただきありがとうございました。
    Competing Interests: No competing interests were disclosed.
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    菊地先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,可能な限りご回答申し上げます(以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております)。なお,すべてのご意見に対して十分なご回答をご用意することはできませんでしたが,第2稿では構成・論じ方を含めて修正を施しました。依然として不十分な点があるかと存じますが,その点につきましては改めてご指摘いただければ幸いです。

    1.「5 問題点の詳述」におけるご意見について
    ご意見をくださりありがとうございます。確かに,第1稿では,「ばかり」は遊離数量詞と共起する場合に「限定」を表し,遊離数量詞と共起しない場合は「限定」を表さないかのように述べられております。しかし,これは筆者の述べ方の不備によるものであり,本来の意図はそうではありませんでした。
    筆者は,「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合に非該当例が許容されないという現象について,“「ばかり」は(遊離数量詞との共起の有無を問わず)集合の内部に非該当例が無いことを表す(=「限定」を表す)”ということを示唆していると考えております。つまり,「ばかり」と数量詞の共起については,「ばかり」の「無標」のケース,あるいは「普通」のケースと捉えているのではなく,「ばかり」の意味について示唆的な現象を観察することできるケース(の1つ)と捉えております。第2稿では述べ方を全面的に修正し,この点が明確になるようにいたしました。

    2.「9 その他の問題点 例文の適否判断に疑問がある点」におけるご意見について
    確かに,第1稿(17b)を(17a)と同様に「#」と判定する話者が存在する可能性は否定できません。そうであれば,ご指摘いただいたように「数量情報との合致」が重要ということになると考えられます。一方で,相対的にはやはり(17b)の方が文脈的自然度は高いとも考えております(第2稿注12)。つまり,「数量情報との合致」が重要ではあるものの,その情報が「事態」の数量である場合にはより強固な「合致」が求められると考えております。

    3.「9 その他の問題点 澤田(2007)の紹介と論評の部分」におけるご意見について
    確かに,澤田(2007)は「ばかり」の振る舞いについて遊離数量詞と関連付けて議論しているわけではなく,それはご指摘の通り「その時点で留意されていなかった」ためであると思われます。しかし,澤田(2007)について,第1稿では遊離数量詞が生起する場合の現象に触れていない研究として取り上げているわけではなく,“「ばかり」の意味は「限定」ではないと主張する研究”として取り上げております。これは第1稿の主張と対立するものであるため,「澤田(2017)の指摘とその問題点」というタイトルで取り上げた次第です。
    ただし,第1稿は筆者の意図が十分に伝わりにくい記述になっておりました。また,第1稿における澤田(2007)の位置づけには不十分な点がございました。これらを踏まえ,第2稿では澤田(2007)との関係性に関わる部分の記述を修正いたしました(第2稿4.2節・4.3節)。
    なお,ご指摘の通り,澤田(2007)による「派生」「二次的」という表現を「語用論的」と言い換えていたことは不適切でしたので,第2稿ではこれを削除いたしました(第2稿4.2節(35)の直後)。ご指摘いただきありがとうございました。

    4.「10 参考文献」におけるご意見について
    安部(2000)を参考文献に加えました(第2稿注17,参考文献欄)。ご指摘いただきありがとうございました。
    Competing Interests: No competing interests were disclosed.
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Reviewer Report 06 Jan 2022
Mieko Sawada, Faculty of Arts and Sciences, Kyoto Institute of Technology, Kyoto, Japan 
Approved with Reservations
VIEWS 41
本論文は、「ばかり」が非該当例を許容しない現象があることを指摘した点は、学術的新規性が高いと判断する。本論文が主張するように、(27)は非該当例を含まない例として解釈できる。

(27) 白いシャツばかりを1000 枚購入した。

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Sawada M. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 1; peer review: 4 approved with reservations]. F1000Research 2021, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.59172.r112374)
NOTE: it is important to ensure the information in square brackets after the title is included in all citations of this article.
  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    澤田先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    「ばかり」が遊離数量詞と共起しても非該当例を含む場合があるというご指摘について
    確かに,ご提示いただいた①②の例はサル以外のキャラクター(非該当例)が出た場合やカワハギ以外(非該当例)が釣れた場合でも成立すると思われます。
    ①    10回ガチャやったら,サルばかりが5匹出た。
    ②    この間,カワハギばかりを10枚釣ったよ。
    しかし,“「ばかり」が遊離数量詞と共起した場合は非該当例を許容しない”という筆者の主張は,①の例で言えば,10回出たキャラクターの中にサル以外(非該当例)は含まれないということではなく,“遊離数量詞「5匹」が表す数量の中にサル以外(非該当例)は含まれない”ということを示すものです。同様に,②の例で言えば,“遊離数量詞「10枚」が表す数量の中にカワハギ以外(非該当例)は含まれない”ということを示すものです。特に①の例は「サルが5回でた場合の発話」ということでご紹介いただきましたので,これは筆者の主張を支持する例であると考えております。しかし,第1稿では筆者の主張がやや曖昧になっている箇所がございましたので,第2稿ではその点を修正いたしました(第2稿1節(5)の直後や2.3節(19)などを始めとする複数箇所)。
    また,確かに①②の例と次の③の例は「話し手のコントロール」や行為の複数性において差が認められると言えます。
    ③    白いシャツばかりを1000 枚購入した。
    しかし,前述の通り,筆者の主張は遊離数量詞が示す数量の中に非該当例が含まれないというものであり,その点では①②と③の間に差は認められません。従って,少なくとも「話し手のコントロール」が及ぶ事態であることと「行為が複数回」でないことを指して「特別な条件」とする場合においては,「『ばかり』を使用した文が非該当例を含まない解釈は特別な条件が必要」ということにはならないと考えます。
    一方,ご指摘いただいた内容は,遊離数量詞が表す数量と事態の総数量との関係において,①②の例と③の例で差があるということを示していると理解いたしました。具体的には,①②の場合は「5匹」「10枚」が「出た」「釣った」の総数量と(必ずしも)一致しない(出た数>5匹,釣った数≧10枚)のに対し,③の場合は「1000枚」が「購入した」の総数量と基本的に一致する(購入した数=1000枚)ということです。つまり,ご指摘に照らせば,「話し手のコントロール」が及ばない事態,かつ「行為が複数回」である場合(①②)は遊離数量詞が表す数量と事態の総数量が(必ずしも)一致せず,反対に「話し手のコントロール」が及ぶ事態,かつ「行為が複数回」でない場合(③)はそれらが基本的に一致するということになります。これは数量詞研究で言われるところの「全体量」と「部分量」の議論にも関わる可能性があり,大変興味深い現象ですが,今回の議論の範囲を超えていると判断し,第2稿では扱いませんでした。
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    澤田先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    「ばかり」が遊離数量詞と共起しても非該当例を含む場合があるというご指摘について
    確かに,ご提示いただいた①②の例はサル以外のキャラクター(非該当例)が出た場合やカワハギ以外(非該当例)が釣れた場合でも成立すると思われます。
    ①    10回ガチャやったら,サルばかりが5匹出た。
    ②    この間,カワハギばかりを10枚釣ったよ。
    しかし,“「ばかり」が遊離数量詞と共起した場合は非該当例を許容しない”という筆者の主張は,①の例で言えば,10回出たキャラクターの中にサル以外(非該当例)は含まれないということではなく,“遊離数量詞「5匹」が表す数量の中にサル以外(非該当例)は含まれない”ということを示すものです。同様に,②の例で言えば,“遊離数量詞「10枚」が表す数量の中にカワハギ以外(非該当例)は含まれない”ということを示すものです。特に①の例は「サルが5回でた場合の発話」ということでご紹介いただきましたので,これは筆者の主張を支持する例であると考えております。しかし,第1稿では筆者の主張がやや曖昧になっている箇所がございましたので,第2稿ではその点を修正いたしました(第2稿1節(5)の直後や2.3節(19)などを始めとする複数箇所)。
    また,確かに①②の例と次の③の例は「話し手のコントロール」や行為の複数性において差が認められると言えます。
    ③    白いシャツばかりを1000 枚購入した。
    しかし,前述の通り,筆者の主張は遊離数量詞が示す数量の中に非該当例が含まれないというものであり,その点では①②と③の間に差は認められません。従って,少なくとも「話し手のコントロール」が及ぶ事態であることと「行為が複数回」でないことを指して「特別な条件」とする場合においては,「『ばかり』を使用した文が非該当例を含まない解釈は特別な条件が必要」ということにはならないと考えます。
    一方,ご指摘いただいた内容は,遊離数量詞が表す数量と事態の総数量との関係において,①②の例と③の例で差があるということを示していると理解いたしました。具体的には,①②の場合は「5匹」「10枚」が「出た」「釣った」の総数量と(必ずしも)一致しない(出た数>5匹,釣った数≧10枚)のに対し,③の場合は「1000枚」が「購入した」の総数量と基本的に一致する(購入した数=1000枚)ということです。つまり,ご指摘に照らせば,「話し手のコントロール」が及ばない事態,かつ「行為が複数回」である場合(①②)は遊離数量詞が表す数量と事態の総数量が(必ずしも)一致せず,反対に「話し手のコントロール」が及ぶ事態,かつ「行為が複数回」でない場合(③)はそれらが基本的に一致するということになります。これは数量詞研究で言われるところの「全体量」と「部分量」の議論にも関わる可能性があり,大変興味深い現象ですが,今回の議論の範囲を超えていると判断し,第2稿では扱いませんでした。
    Competing Interests: No competing interests were disclosed.
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Reviewer Report 06 Jan 2022
Takuzo Sato, Gakushuin Women's College, Tokyo, Japan 
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「ばかり」の意味解釈に数量詞をからませて分析している着眼に新規性があり、非常に興味深い。また、「ばかり」の、機能をあくまで「限定」として位置づけたうえで、例外的ともみえる現象に対して統一的な説明を与えようとする結論も説得的である。

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HOW TO CITE THIS REPORT
Sato T. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 1; peer review: 4 approved with reservations]. F1000Research 2021, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.59172.r112370)
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    佐藤先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    1.非該当例解釈が許容されない例文の解釈について
    ご指摘の通り,「シャツばかり1000枚購入した」の一般的な解釈は「“1000枚のシャツ購入”という事態が1回生じた」であると思われます。それにもかかわらず「“購入”という事態が1000回生じた」という解釈を示したのは,いわゆる「探索」が1000回行われた(遊離数量詞の示す数が「探索」の数と一致する)ということを示す意図がございました。
    なお,筆者はこのように「探索」の数(「ばかり」が形成する主観的集合の要素の数)に関与するのは遊離数量詞(副詞位置に生起する数量詞)に限られると考えておりました。例えば,女性400人と男性100人を招待した場面では,次のように遊離数量詞が生起する①は不自然であり,そうでない数量詞(以下,非遊離数量詞)が生起する②は自然であると考えておりました。
    【女性を400人,男性を100人招待した場合】
    ① # 女性ばかり500招待した。
    ②    招待した500は女性ばかりだ。
    しかし,菊地先生に頂いたご意見により,当該の場面では②も不自然と判定する話者も存在することが分かりました。これは,非遊離数量詞も「探索」の数に関与し得ることを示唆しております。
    ただし,そうした話者が存在しても,少なくとも①よりは②の方が許容されやすいと考えております。つまり,“数量詞が生起した場合は,それが示す数が「探索」の数と一致し得るが,特に遊離数量詞は(「探索」と親和性がある「事態」と密接に関わるため)その含意が生じやすい”と考えております。

    2.非該当例許容解釈の不成立と複数性の制約について
    筆者は「複数性の制約」について,概ね“「ばかり」は事態(≒探索)が複数である場合にのみ用いられる”という制約であると理解しております。「シャツばかり1000枚購入した」で言えば,例え1000枚のシャツを一度に購入した(行為の回数=単数)という場合でも,「シャツである」という結果が得られる「探索」が“複数”行われていれば当該の文が成立するため,その意味では今回の考察課題にも「複数性の制約」が関わっていると捉えられます。
    しかし,非該当例許容解釈ができない要因と「複数性の制約」については関係性を見出しておりません。筆者の理解が及んでいない,あるいはそもそも当該の制約に関する理解が不十分であるという可能性がありますが,少なくとも現時点ではそのように考えております。大変恐れ入りますが,修正した第2稿を今一度ご確認いただき,非該当例許容解釈ができない要因についてはやはり「複数性の制約」と関連づけて説明する方が自然という場合には,改めてご指摘いただきたく思います。
    Competing Interests: No competing interests were disclosed.
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    佐藤先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    1.非該当例解釈が許容されない例文の解釈について
    ご指摘の通り,「シャツばかり1000枚購入した」の一般的な解釈は「“1000枚のシャツ購入”という事態が1回生じた」であると思われます。それにもかかわらず「“購入”という事態が1000回生じた」という解釈を示したのは,いわゆる「探索」が1000回行われた(遊離数量詞の示す数が「探索」の数と一致する)ということを示す意図がございました。
    なお,筆者はこのように「探索」の数(「ばかり」が形成する主観的集合の要素の数)に関与するのは遊離数量詞(副詞位置に生起する数量詞)に限られると考えておりました。例えば,女性400人と男性100人を招待した場面では,次のように遊離数量詞が生起する①は不自然であり,そうでない数量詞(以下,非遊離数量詞)が生起する②は自然であると考えておりました。
    【女性を400人,男性を100人招待した場合】
    ① # 女性ばかり500招待した。
    ②    招待した500は女性ばかりだ。
    しかし,菊地先生に頂いたご意見により,当該の場面では②も不自然と判定する話者も存在することが分かりました。これは,非遊離数量詞も「探索」の数に関与し得ることを示唆しております。
    ただし,そうした話者が存在しても,少なくとも①よりは②の方が許容されやすいと考えております。つまり,“数量詞が生起した場合は,それが示す数が「探索」の数と一致し得るが,特に遊離数量詞は(「探索」と親和性がある「事態」と密接に関わるため)その含意が生じやすい”と考えております。

    2.非該当例許容解釈の不成立と複数性の制約について
    筆者は「複数性の制約」について,概ね“「ばかり」は事態(≒探索)が複数である場合にのみ用いられる”という制約であると理解しております。「シャツばかり1000枚購入した」で言えば,例え1000枚のシャツを一度に購入した(行為の回数=単数)という場合でも,「シャツである」という結果が得られる「探索」が“複数”行われていれば当該の文が成立するため,その意味では今回の考察課題にも「複数性の制約」が関わっていると捉えられます。
    しかし,非該当例許容解釈ができない要因と「複数性の制約」については関係性を見出しておりません。筆者の理解が及んでいない,あるいはそもそも当該の制約に関する理解が不十分であるという可能性がありますが,少なくとも現時点ではそのように考えております。大変恐れ入りますが,修正した第2稿を今一度ご確認いただき,非該当例許容解釈ができない要因についてはやはり「複数性の制約」と関連づけて説明する方が自然という場合には,改めてご指摘いただきたく思います。
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Reviewer Report 20 Dec 2021
Toshiyuki Sadanobu, Faculty of Letters/Graduate School of Letters, Kyoto University, Kyoto, Japan 
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論文を読ませていただきました。遊離数量詞構文において「ばかり」が「非該当例」を許容しなくなるという観察は意義あるものと判断します。が、この論文が(賛否は別として)一つの論考として成り立つには、クリアしなければならない問題もあると判断し、「条件付き承認」と判定します。以下、問題について説明し、提案を書きます。ご参考になれば幸いです。

問題1:前提とされている概念「意味」がはっきりしない。
論文では、「「ばかり」の「意味」とは何か?」という論点が設定され、この論点をめぐる形で考察が展開されています。が、その「意味」とは、どういうものを含み、どういうものを含まないのでしょうか? ある説を対立説(要旨のことばで言えば「「ばかり」の意味を限定ではないと示唆・主張する研究」)と位置付けて反駁したり、自説を主張したりするには、まずこの点が明らかにされる必要があると考えます。
仮にある研究者が「「ばかり」は限定を意味する」あるいは「「ばかり」は限定を意味しない」と明記していても、その研究者の「意味」の概念を、著者の「意味」観と比べ、対応づけを検討しなければ、その研究者の見解を自説の仲間、あるいは対立説に位置付けることはできないでしょう。
論文が挙げている先行研究の中で、対立説と位置付けられているものは唯一、澤田(2007)だけですが、これも、本当に対立説と言えるのか、論文を読んでいて確信できませんでした。というのは、澤田(2007)の考えとして引用されている第4.1.2節の(35)は、「ばかり」を発する話し手の動機(「目的」)について述べられたものであって、「ばかり」の意味について述べられたものではないからです。その末尾の部分には、限定的解釈が「派生的」にせよ「でてくる」とも書かれています。これを本当に、「「ばかり」は限定を意味しない」と述べたものと読み込んでよいのでしょうか。
以上のことを、著者自身自覚されているのではないかと思わせる、記述の弱さが論文には見られます。もし、どうしても澤田(2007)を対立説とみなして「ばかり」の意味論にこだわるのであれば、それらは改めるべきでしょう。具体的に言うと、要旨欄の「示唆・主張」は「示唆・」を削除して「主張」とするべきでしょうし、対立説は第4.1.2節ではなく第1節で真っ先に紹介すべきでしょう。第2節末尾の「ばかりの意味についても考察する」は、これこそがメインのはずですから、「も」は削除すべきでしょう。

問題2:遊離数量詞を持ち出す意義がはっきりしない。
遊離数量詞を持ち出す意義も、はっきり理解できませんでした。これも、論点として「ばかり」の意味論が設定されている結果ではないでしょうか。というのは、「「ばかり」の意味=限定」説は、遊離数量詞を持ち出さなくても、他の、ずっと簡単な形でも主張できるからです。以下、それを具体的に2つ述べます。
その1:「厳密に」「厳密な話」などの語句が「~ばかり」にかかるだけで、「非該当例」は許容されにくくなります。例:うどん以外も食べていた場合、「先週はうどんばかり食べてたよ」と比べて「先週は厳密な話、うどんばかり食べてたよ」は自然さが低い。
その2:「非該当例」の存在が会話相手に知られた場合、相手に反駁され得ます。例:うどん以外も食べていたことが聞き手に知られた場合、「先週はうどんばかり食べてたよ」と言えば、「うどんばかりじゃないじゃん。×××も食べてたじゃん」などと反駁される可能性があります。
いずれも、「非該当例」が、いわば「非公式のもの」でしかないことを示すものです。こうした「非該当例」の「非公式性」は、多くの研究者に共有されており、(「意味」の定義はさまざまであれ)「「ばかり」の意味=限定」説は広く受け入れられているものではないか、というのが評者の認識です。

問題3:仮説がアドホックに感じられる。
評者の理解によれば、著者は、遊離数量詞の効果で「非該当例」が許容されなくなるという自身の観察を、次の2段階の仮説によって説明することで「ばかり」の意味論につなげようとしています。以下、評者のことばで述べます。(ちなみに「「現実世界の事態の数量」との(不)一致」という表現には、改善の必要を感じます。「もしあの時、白いシャツばかり10枚買っていたなら~」のような、仮定世界や反事実世界の話をも「現実世界」と言わねばならないことになってしまうからです。)
段階1:「ばかり」の話し手が想定する集合は、2種類あり得る。集合は、「当該文脈で想定される候補の集合」(=とりたて表現一般に想定される集合で、「非該当例」を含む)とは別に、「非該当例を排除した集合」でもよい。
段階2:「ばかり」の文に遊離数量詞が現れ、事態の数が明示される場合は、「非該当例を排除した集合」が想定できず、「当該文脈で想定される候補の集合」しか想定できなくなる。にもかかわらず、この場合、「非該当例」は許容されない。(だから「ばかり」は限定を意味する。)
ここでは、以上の2段階のうち、段階1について述べます。
この仮説(段階1)は、「限定を意味するはずの「ばかり」が「非該当例」を許容する」という謎を、「「ばかり」の話し手が想定する集合としては、「非該当例」を排除した集合が許容される」という、別の謎に変換しています。この変換については、佐藤(2017)が参考にされているとはいえ、論拠が出されておらず、アドホックに感じられます。
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HOW TO CITE THIS REPORT
Sadanobu T. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 1; peer review: 4 approved with reservations]. F1000Research 2021, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.59172.r112371)
NOTE: it is important to ensure the information in square brackets after the title is included in all citations of this article.
  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    定延先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    1.「意味」と澤田(2007)について
    ご指摘の通り,第1稿では「意味」という概念が「どういうものを含み、どういうものを含まない」のかということを明示しておりませんでした。このご指摘は,第1稿において,特に澤田(2007)との差を“「ばかり」の意味を限定とするか否か”という点に求めていることと密接に関係すると思われます。ご指摘いただき誠にありがとうございました。ご指摘については,「意味」一般について十全な定義に及ぶことはできませんでしたが,澤田(2007)と本稿との違いを明確に示すように改稿しました(第2稿4.3節第3段落)。
    改めた記述の内容をまとめると次のようになります。澤田(2007)はとりたてる要素が「多い」(あるいは「多すぎる」)ということを伝えるのが「ばかり」にとって重要であり,「限定」はその「二次的な効果」と述べております。この記述につきまして,当該要素が「多い」場合に「ばかり」が用いられるという点は筆者の立場と一致しております。しかしながら,「多い」ということを伝えるのが「重要」であり,「限定」が「二次的」という位置づけについては筆者の立場と異なります。具体的に言えば,筆者は「限定」が「二次的」とは考えず,また,「多い」というのは「ばかり」が集合を形成するに当たっての前提条件であると考えております。

    2.要旨欄と第2節の文言について
    ご指摘を踏まえ,第2節末尾の「ばかりの意味についても考察する」の「も」は削除いたしました(第2稿2.3節最終文)。なお,要旨を全面的に修正した都合上,第1稿の「示唆・主張」はそれ自体を削除いたしました。

    3.遊離数量詞を持ち出す意義について
    筆者は“「ばかり」は主観的集合の内部に非該当例が存在しないことを表す”ということが遊離数量詞共起下の現象から明らかになると考えており,その点に遊離数量詞を持ち出す意義を見出しております。ご指摘を踏まえ,第2稿ではこの点が(少なくとも第1稿に比べて)明確になるように修正いたしました(第2稿2.3節(17)の直後)。
    ところで,ご教示いただいた2つの例のうち,特に「『非該当例』の存在が会話相手に知られた場合、相手に反駁され得」るという例は,ご指摘の通り「『非該当例』が、いわば『非公式のもの』でしかないことを示すもの」であると考えます(同様の例は佐藤(2017: 3-4)でも指摘されていることを確認しております)。しかし,この例では“「非該当例」は「ばかり」によって設定される集合の内部に存在するのか外部に存在するのか”という点までは十分に捉えられないものと思われます。これに対し,筆者は遊離数量詞共起下の現象を観察することで“「非該当例」は「ばかり」によって設定される集合の外部に存在する(内部には存在しない)”ということが明らかになると考えております。
    なお,「『厳密に』『厳密な話』などの語句が『~ばかり』にかかるだけで、『非該当例』は許容されにくくな」るというご指摘については検討の余地があると考えます。「厳密に」が介入すれば非該当例を許容しないということであれば,次の例文①②③はいずれも自然に成立することが予測されますが,「ばかり」と共起する③はやや不自然になるように思われます。
    ①    先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんだけ食べてました。
    ②    先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんしか食べませんでした。
    ③ ? 先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんばかり食べてました。
    これは,「ばかり」が主観的集合を問題にする(客観的集合ではないことを含意する)のに対し,「厳密に」は客観的集合を問題にする(主観的集合の設定を許さない)ためであると考えます。

    4.「現実世界の事態の数量」という表現について
    ご指摘の通り,「「現実世界の事態の数量」との(不)一致」という表現,特に「現実世界」という表現は不適切でした。ご指摘いただきありがとうございました。第2稿では内容を修正した都合上,この表現自体を削除いたしました。

    5.体験談では嘘と思われない程度の誇張や脚色がなされやすいこととの関わりについて
    「体験談」では「嘘と思われない程度の誇張や脚色がなされやすい」ため,「個人的な体験として語る場合、非該当例が許容されやすい」という見方については,筆者も関連性理論で言われる「ルース・トーク」(loose ... Continue reading
COMMENTS ON THIS REPORT
  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    定延先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    1.「意味」と澤田(2007)について
    ご指摘の通り,第1稿では「意味」という概念が「どういうものを含み、どういうものを含まない」のかということを明示しておりませんでした。このご指摘は,第1稿において,特に澤田(2007)との差を“「ばかり」の意味を限定とするか否か”という点に求めていることと密接に関係すると思われます。ご指摘いただき誠にありがとうございました。ご指摘については,「意味」一般について十全な定義に及ぶことはできませんでしたが,澤田(2007)と本稿との違いを明確に示すように改稿しました(第2稿4.3節第3段落)。
    改めた記述の内容をまとめると次のようになります。澤田(2007)はとりたてる要素が「多い」(あるいは「多すぎる」)ということを伝えるのが「ばかり」にとって重要であり,「限定」はその「二次的な効果」と述べております。この記述につきまして,当該要素が「多い」場合に「ばかり」が用いられるという点は筆者の立場と一致しております。しかしながら,「多い」ということを伝えるのが「重要」であり,「限定」が「二次的」という位置づけについては筆者の立場と異なります。具体的に言えば,筆者は「限定」が「二次的」とは考えず,また,「多い」というのは「ばかり」が集合を形成するに当たっての前提条件であると考えております。

    2.要旨欄と第2節の文言について
    ご指摘を踏まえ,第2節末尾の「ばかりの意味についても考察する」の「も」は削除いたしました(第2稿2.3節最終文)。なお,要旨を全面的に修正した都合上,第1稿の「示唆・主張」はそれ自体を削除いたしました。

    3.遊離数量詞を持ち出す意義について
    筆者は“「ばかり」は主観的集合の内部に非該当例が存在しないことを表す”ということが遊離数量詞共起下の現象から明らかになると考えており,その点に遊離数量詞を持ち出す意義を見出しております。ご指摘を踏まえ,第2稿ではこの点が(少なくとも第1稿に比べて)明確になるように修正いたしました(第2稿2.3節(17)の直後)。
    ところで,ご教示いただいた2つの例のうち,特に「『非該当例』の存在が会話相手に知られた場合、相手に反駁され得」るという例は,ご指摘の通り「『非該当例』が、いわば『非公式のもの』でしかないことを示すもの」であると考えます(同様の例は佐藤(2017: 3-4)でも指摘されていることを確認しております)。しかし,この例では“「非該当例」は「ばかり」によって設定される集合の内部に存在するのか外部に存在するのか”という点までは十分に捉えられないものと思われます。これに対し,筆者は遊離数量詞共起下の現象を観察することで“「非該当例」は「ばかり」によって設定される集合の外部に存在する(内部には存在しない)”ということが明らかになると考えております。
    なお,「『厳密に』『厳密な話』などの語句が『~ばかり』にかかるだけで、『非該当例』は許容されにくくな」るというご指摘については検討の余地があると考えます。「厳密に」が介入すれば非該当例を許容しないということであれば,次の例文①②③はいずれも自然に成立することが予測されますが,「ばかり」と共起する③はやや不自然になるように思われます。
    ①    先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんだけ食べてました。
    ②    先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんしか食べませんでした。
    ③ ? 先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんばかり食べてました。
    これは,「ばかり」が主観的集合を問題にする(客観的集合ではないことを含意する)のに対し,「厳密に」は客観的集合を問題にする(主観的集合の設定を許さない)ためであると考えます。

    4.「現実世界の事態の数量」という表現について
    ご指摘の通り,「「現実世界の事態の数量」との(不)一致」という表現,特に「現実世界」という表現は不適切でした。ご指摘いただきありがとうございました。第2稿では内容を修正した都合上,この表現自体を削除いたしました。

    5.体験談では嘘と思われない程度の誇張や脚色がなされやすいこととの関わりについて
    「体験談」では「嘘と思われない程度の誇張や脚色がなされやすい」ため,「個人的な体験として語る場合、非該当例が許容されやすい」という見方については,筆者も関連性理論で言われる「ルース・トーク」(loose ... Continue reading

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Version 2
VERSION 2 PUBLISHED 14 Dec 2021
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Alongside their report, reviewers assign a status to the article:
Approved - the paper is scientifically sound in its current form and only minor, if any, improvements are suggested
Approved with reservations - A number of small changes, sometimes more significant revisions are required to address specific details and improve the papers academic merit.
Not approved - fundamental flaws in the paper seriously undermine the findings and conclusions
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