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Revised

“Exclusivity” and quantifier float in bakari

[version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]
PUBLISHED 04 Jul 2022
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This article is included in the Japan Institutional Gateway gateway.

Abstract

This paper presents a descriptive study that analyzes the semantic meaning of toritate focus particle bakari. It has been pointed out that while bakari expresses exclusivity, it seemingly possesses the characteristic of allowing non-applicable cases. This phenomenon may be examined when one argues against the position that bakari expresses exclusivity. Contrary to this view, the current study shows that when bakari co-occurs with floating quantifiers, non-applicable cases cannot be included in the quantity of the item indicated by the quantifier in question, thereby arguing that the meaning of bakari should be taken as exclusivity. Based on the previous studies, we clarify the following two points. First, when bakari is used, apart from a pre-established objective set reflecting the world, a subjective set rooted in the speaker's experience is established, and when a floating quantifier co-occurs with bakari, the quantifier in question expresses the quantity of the subjective set. Second, toritate focus particle bakari represents exclusivity, and the non-applicable cases can exist only outside of the set that bakari is concerned with.

Keywords

とりたて詞, ばかり, 遊離数量詞, 限定, toritate focus particle, bakari, exclusivity, floating quantifiers

Revised Amendments from Version 1

査読者のコメントを踏まえた主な修正点は次のとおりである。まず以下2点を明確にした。①「ばかり」と遊離数量詞が共起した際に観察される現象は,“数量詞が表す事物の数量の中に非該当例の存在が許容されない”ことを示すものであること(1節,2.3節,5節)。② ①から導かれる筆者の主張の1つが,“遊離数量詞が表すのは「ばかり」が設定する(主観的な)集合に含まれる事物の数量である”こと(1節,3.3節)。加えて,澤田(2007)と筆者の主張の関係について,両者は「ばかり」における「限定」や「(事物の)多さ」の位置づけの点で異なるという記述に改めた(4.2節,5節)。さらに,参考文献として安部(2001)を追加した(注17,参考文献欄)。

See the authors' detailed response to the review by Yasuto Kikuchi
See the authors' detailed response to the review by Takuzo Sato
See the authors' detailed response to the review by Mieko Sawada
See the authors' detailed response to the review by Toshiyuki Sadanobu

1. はじめに

とりたて詞「ばかり」は,「だけ」「しか」と同様に,概ね次のように規定される「限定」を表すとされる。

  • (1) ある集合の内部において,とりたて詞がとりたてる要素が存在し,それ以外の要素が存在しない1

    一方で,その位置づけに検討の余地があることを示すような現象が観察される。例えば,次の (2) (3) のように,「白いシャツ」以外も購入した,あるいは「三毛猫」以外も集まったという場合,「だけ」「しか」を含む (2ab) (3ab) は成立しないのに対し,「ばかり」を含む (2c) (3c) は成立し得る。

  • (2) 【白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚購入した場合】

    • a. # 白いシャツだけを購入した2

    • b. # 白いシャツしか購入しなかった。

    • c. 白いシャツばかりを購入した。

  • (3) 【三毛猫が 40 匹,黒猫が 10 匹集まった場合】

    • a. # 三毛猫だけが集まった。

    • b. # 三毛猫しか集まらなかった。

    • c. 三毛猫ばかりが集まった。

この現象は,「ばかり」はとりたてた要素に該当しない要素(以下,非該当例3)の存在を許容するということ,さらに「ばかり」は「限定」を表すものではないということを示すかのように見える。

しかし,そうとは言い切れないことを示唆する現象も観察される。例えば, (2c) (3c) に遊離数量詞4を加えた次の文は, (2) (3) と同様の場合には成立しない。

  • (4) 【白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚購入した場合】

    # 白いシャツばかり1000 枚購入した。

  • (5) 【三毛猫が 40 匹,黒猫が 10 匹集まった場合】

    # 三毛猫ばかり 50 匹集まった。

これらの文が成立するためには「1000 枚」のすべてが「白いシャツ」,あるいは「50 匹」のすべてが「三毛猫」でなければならず,「1000 枚」や「50 匹」の中に非該当例(「赤いシャツ」や「黒猫」など)の存在が許容される余地はない5,6

本稿は,現代語を対象とした記述言語学的研究の一環で,コーパスのデータと日本語母語話者の内省に基づき,この現象について先行研究の指摘から導き出される遊離数量詞の特徴と関連づけて考察し,その要因を明らかにするものである。さらに,これが「ばかり」の意味について示唆的な現象であることを指摘し,その意味について考察する。分析に当たっては,『現代日本語書き言葉均衡コーパス』 (BCCWJ) より抽出した用例7,及び作例の意味解釈について,日本語母語話者である筆者らの言語直観で判断する。本稿の主張は次の通りである。

  • (6) a. 遊離数量詞は事態の数量を表す (数量を事態の数量として表し直す)。

  • b. 「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合,当該の数量詞は客観的な集合ではなく,「ばかり」が設定する主観的な集合に含まれる事態の数量を表す。

  • (7) とりたて詞「ばかり」は「限定」を表し,非該当例は「ばかり」が設定する集合8の外部においてのみその存在が許容され得る。

2. 先行研究の指摘と本稿の主眼

「ばかり」と非該当例の関係については,従来様々な研究において指摘されてきた(菊地 1983; 西村 1994; 定延 2001; 澤田 2007; 日本語記述文法研究会 2009; 佐藤 2017 など)。以下では,「ばかり」が非該当例を許容する(ように見える)要因についても言及している定延 (2001)佐藤 (2017) を取り上げ,それぞれの指摘を概観した上で本稿の主眼とするところを明確にする。

2.1 定延 (2001) の指摘

まず, 定延 (2001) の指摘を概観する。 定延 (2001) は,「探索」という概念を用いて「ばかり」について考察している。「探索」とは「認知領域の拡大行動」(定延 2001: 118)であるが, 定延 (2001) は,「ばかり」にはその「探索」が「二重に関わってくる」(定延 2001: 135)と指摘している。例えば,「ばかり」を含む次の (8) の文の場合,初めに (9a) のような,次に (9b) のような「探索」が行われるとされる。

  • (8) この人物が食べたのはミカンばかりだ(定延 2001: 129,下線は筆者)

  • (9) a. 【探索①】問題の人物が食べたモノを探索領域とし,[品種は何か]を探索課題とする探索9定延 2001: 129,【 】内は筆者)

        b. 【探索②】探索の集合を探索領域としてそれらがどういう探索なのか,〔筆者略〕 1 探索ずつスキャニング探索 (定延 2001: 129,下線と【 】内は筆者)

その上で,(8) の文はこの「二重」の「探索」のうち,(9b) の「探索」によって次のような結果が得られたことを表現しているとされる。

  • (10) 【探索②の結果】すべて [ミカン]という情報を得た探索だ (定延 2001: 129,下線と【 】内は筆者)

定延 (2001) の議論において重要となるのは,「ばかり」を含む文が (9b) の「探索」の結果を表現するという点である。(9a) と (9b) の「探索」は,前者が「世界のありさま」を「探索領域」とするのに対し,後者は「世界探索の集合のありさま」を「探索領域」とするという点で異なるが(定延 2001: 134), 定延 (2001) によれば,後者の場合は非該当例の有無は大きな問題にならないとされる。 定延 (2001) は,次の (11) の例を基に (12) のように述べている。

  • (11) 先週はうどん ばかり食べた(定延 2001: 134,下線は筆者)

  • (12) 「先週食べたものはうどんがすべてなのか,それともうどんは大部分にすぎず他に何か食べたのか」という問題は,世界のありさまを表現する場合は大きな問題で,仮にうどんが大部分にすぎないにもかかわらず「うどんがすべて」と表現すれば誤りになる。しかし,世界探索の集合がどのような集合であるかを表現する際には,世界じたいについては,多少印象的・感覚的になっても問題ではなく,「うどんをやたら多く見出す世界探索の集合」であることに変わりはないとしてしまえる 原注20。 (定延 2001: 134,下線は筆者)

2.2 佐藤 (2017) の指摘

これに対し,佐藤 (2017) は「探索の領域が〔筆者略〕探索という行動の集合である場合に,多少は印象的・感覚的であってもよいという説明に,妥当性はあるのだろうか」(佐藤 2017: 7)と疑問を呈し,「ばかり」と非該当例の関係について,定延 (2001) とは異なる議論を展開している。

佐藤 (2017) は,「認識的際立ち性」という観点から「ばかり」の振る舞いを説明している。佐藤 (2017) によれば,「認識的際立ち性」とは次のようなものである。

  • (13) ここ〔筆者注: 佐藤 (2017)〕で言う「認識的際立ち性」とは,当該の主体にとって何らかの意味において容易に捉えられるもの,捉えずにはいられない際立ちをもつものである。 (佐藤 2017: 9)

佐藤 (2017) は,集合を問題にする言語形式には,予め確立されている客観的な集合だけでなく,話者の経験に根差して形成された主観的な集合に関与するものがあると述べ(佐藤 2017: 8),その一例として「ばかり」を挙げている。また,後者の集合が形成されるに当たっては様々な動機があり得るとしており(佐藤 2017: 4-5),特に「ばかり」が関与する集合が形成される動機となるのが「認識的際立ち性」であると指摘している(佐藤 2017: 9)。

佐藤 (2017) によれば,「ばかり」が用いられるに当たっては,「認識的際立ち性という動機づけに支えられ,その特徴を有する事態のみを成員とする経験記憶の集合が形成される」(佐藤 2017: 9)とされる。例えば, 佐藤 (2017) は次の (14) の文が発話されるに至る過程を (15) のようにまとめている。

  • (14) あなた,学校に遅刻して ばかりでどうするの (佐藤 2017: 3,傍点を下線に改変)

  • (15) 「ばかり」の集合形成の事例②

    • a. 母親が娘の登校時間を気にしながら日常生活を送る。

    • b. 週 2 回のペースで娘の学校への遅刻という認識的際立ち性を有する事態を知覚する。

    • c. 「娘の遅刻」という認識的際立ち性を有する事態のみから成る経験記憶の集合が形成され,「遅刻してばかり」という認識にいたる。佐藤 2017: 10,下線は筆者)

仮に,週 6 日制の学校に「週 2 回のペース」で遅刻した場合,週 4 回は遅刻していないことになり,(14) の文においてはそれが非該当例となる。しかし,「認識的際立ち性」という特徴を持つもので構成される主観的な集合には「遅刻」のみが含まれる,言い換えれば「非遅刻」は含まれないため10,(14) の文が問題なく成立するとされるのである。

2.3 本稿の主眼

以上, 定延 (2001)佐藤 (2017) の議論を概観した。いずれにおいても「ばかり」が非該当例の関係について興味深い指摘が見られるが,佐藤 (2017) も述べているように,定延 (2001) の指摘には検討の余地がある。これを踏まえ,本稿では「ばかり」と非該当例の関係について,佐藤 (2017) の考えを採る11

一方で,両者の関係については従来考察の対象とされていない問題がある。次の文はいずれも「ばかり」を含むため,先行研究に倣えば非該当例(「赤いシャツ」「黒猫」)が存在していても成立することが予測されるが,(16b) (17b) については成立しない。

  • (16) 【白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚購入した場合】

    • a. 白いシャツ ばかりを購入した。 (=(2a))

    • b. # 白いシャツ ばかり1000 枚購入した。 (=(4))

  • (17) 【三毛猫が 40 匹,黒猫が 10 匹集まった場合】

    • a. 三毛猫 ばかりが集まった。 (=(3a))

    • b. # 三毛猫 ばかり50 匹集まった。 (=(5))

(16a) (17a) と (16b) (17b) の相違点は,後者には数量詞が生起しているという点である。

これは数量詞が示す事物の数量の中において非該当例の存在が許容されないということを示しており,先行研究で言われる非該当例の位置づけについて重要な意味を持つ。ただし,この現象は遊離数量詞が出現する場合には明確であるが,(18b) のように非遊離数量詞(名詞句内の数量詞)が出現する場合には解釈がやや曖昧になるようである。

  • (18) 【女性を 400 人,男性を 100 人招待した場合】

    • a. # 女性 ばかり 500人招待した。

    • b. 招待した 500 人は女性 ばかり12

つまり,これらの現象は次のことを示していると言える。

  • (19) 「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合,当該の数量詞が示す事物の数量の中において非該当例の存在が許容されない。

前述の通り,先行研究では「ばかり」が非該当例を許容する(ように見える)ことやその要因については指摘されてきたが, (19) のような現象について指摘・考察した研究は管見の限り存在しない。従って,本稿ではこの (19) の現象に注目し,改めて「ばかり」の意味について考察する。

3. 「ばかり」と遊離数量詞

はじめに,「ばかり」と遊離数量詞の関係について考察する。以下では,先行研究の指摘を参考にし,「ばかり」が設定する集合の特徴,及び遊離数量詞の特徴について確認する。

3.1 「ばかり」が設定する集合と事態の数量

まず,「ばかり」が設定する集合の特徴について,佐藤 (2017) の指摘を踏まえて確認する。前述の通り,佐藤 (2017) は,「ばかり」は「認識的際立ち性」という特徴を持つもののみで構成される主観的な集合を設定するとしているが (2.2 節),その点について次のように述べている。

  • (20) 認識的際立ち性という動機づけに支えられ,その特徴を有する事態のみを成員とする経験記憶の集合が形成される。 (佐藤 2017: 9,下線は筆者)

また, 佐藤 (2017) は「認識的際立ち性」が生じる要因の 1 つとして次の (21a) を挙げ,これについて (21b) のように述べている。

  • (21) a. 知覚経験される事態の数が 多い。最低でも複数である。 (佐藤 2017: 11,下線は筆者)

  • b. 一度の失敗しか経験されていない場合,「失敗ばかり」とは言えないだろう。したがって,この要因は「ばかり」が使われるための必要条件である 原注6。 (佐藤 2017: 11,下線は筆者)

このように,佐藤 (2017) は「ばかり」が設定する主観的な集合に含まれるのは「事態」であり13,その数が「多い」ことが「ばかり」が用いられる要件であると指摘している。

次に,この指摘を踏まえつつ,「ばかり」が非該当例を許容する(ように見える)背景について改めて検討する。前述の通り,次の (22) の文は (23) の状況において問題なく成立する。

  • (22) 白いシャツばかりを購入した。

  • (23) 白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚,計 1000 枚のシャツを購入した。

    このとき,「ばかり」が設定する集合に含まれるのは「事態」であるということを踏まえると, (22) の文が成立するに当たり, (23) の状況は次のように捉え直されていると考えられる。

  • (23’) 「白いシャツを購入する」という事態が 900,「赤いシャツを購入する」という事態が 100,計 1000 の「購入する」という事態が生じた

(22) の文が成立するということは,事態の総数は 1000 であるものの,「ばかり」はそのうちの(「認識的際立ち性」を持つ)900 の事態のみから成る集合を設定し得るということになる。このとき, (22) では「白いシャツを購入する」という事態の数が多いということは間接的に表現され得るが14,その具体的な数(総数に一致する数なのか,あるいはそれに近い数なのかということ)には関与していない。つまり,「ばかり」は次のような特徴を持つと言える。

  • (24) 「ばかり」は事態から成る主観的な集合を設定するが,その事態の具体的な数には関与しない。

3.2 遊離数量詞と事態の数量

次に,遊離数量詞に関する先行研究の指摘を見る。 矢澤 (1985) は,本稿での遊離数量詞に当たる「NCQ型」の数量詞15について,「何らかの形で動詞の表す動作・作用に関連した数量を表しているのではないか」(矢澤 1985: 104)と述べ 16,「NCQ型」の数量詞とそれ以外の数量詞の相違点について次のように指摘している。

  • (25) NCQ 型の数量詞〔筆者注:本稿での遊離数量詞〕は,述部に直接関わり,その述部の表す動作・作用の上で先行名詞句と間接的な意味的関係を結ぶのに対し,NCQ 型以外の型の数量詞は,先行名詞句に直接関わり,先行名詞句が述部と関わることによって,数量詞と述部との間接的な関係ができると考えるのである。 (矢澤 1985: 105-106,下線は筆者)

この指摘は,遊離数量詞が事態と密接に関わることを示している。具体的には,遊離数量詞は次のような特徴を持つと言える。

  • (26) 遊離数量詞は,事態の数量を表す(数量を事態の数量として表し直す)。 (=(6))

3.3 「ばかり」と遊離数量詞の関係

以上の点を踏まえ,「ばかり」と遊離数量詞の関係について考察する。 前述の通り,次の (27) (28) の場合,遊離数量詞を含まない (27a) (28a) は成立するのに対し,それを含む (27b) (28b) は成立しない。

  • (27) 【白いシャツを 900 枚,赤いシャツを 100 枚購入した場合】

    • a. 白いシャツばかりを購入した。 (=(2a)(16a))

    • b. # 白いシャツばかり1000 枚購入した。 (=(4)(16b))

  • (28) 【三毛猫が 40 匹,黒猫が 10 匹集まった場合】

    • a. 三毛猫ばかりが集まった。 (=(3a)(17a))

    • b. # 三毛猫ばかり 50 匹集まった。 (=(5)(17b))

3.1 節で述べた通り,当該の場合に (27a) (28a) が成立するのは,「ばかり」はそれが設定する主観的な集合に含まれる事態の具体的な数には関与しない ((24)) ためである。それにもかかわらず,同様に「ばかり」を含む (27b) (28b) が成立しないということは,遊離数量詞が共起することで,その事態の数が具体的に定められることによると考えられる。つまり,(27b) (28b) では,「ばかり」が設定する主観的な集合に含まれる「白いシャツを購入する」「三毛猫が集まる」という事態の数量が「1000」「50」であるということが表されると言える。このことは次のようにまとめられる。

  • (29) 「ばかり」が数量詞と共起する場合,当該の数量詞は客観的な集合ではなく,「ばかり」が設定する主観的な集合に含まれる事態の数量を表す。 (=(6b))

4. 「ばかり」と「限定」

次に,3 節の観察を踏まえて「ばかり」と「限定」の関係について考察する。以下では,まず,「ばかり」と非該当例の問題に触れる先行研究のうち,「ばかり」と「限定」の関係にも言及するものとして日本語記述文法研究会 (2009)澤田 (2007) の指摘を概観する。その上で,本稿の主張を述べる。

4.1 日本語記述文法研究会 (2009) の指摘について

まず,日本語記述文法研究会 (2009) は次のように述べ,「ばかり」は「限定」を表すと主張している17

  • (30) 「ばかり」は,とりたてた要素が唯一のものであることを示し,ほかのものを排除するという限定の意味を表す。(日本語記述文法研究会 2009: 61,下線は筆者)

また,日本語記述文法研究会 (2009) は次の (31) の文について (32) のように述べ,「ばかり」と非該当例の関係に触れている。

さらに,日本語記述文法研究会 (2009) によれば,「ばかり」が表す限定には次の 2 つの下位分類があり,(31) のような場合は (33b) の「限定の仕方」が採られているとされる。

  • (33) a. とりたてた要素が唯一のものであることを示し,ほかのものを排除するという限定 の仕方 (日本語記述文法研究会 2009: 62)

  • b. とりたてた要素が関わる事態が何度も繰り返されることや,とりたてた要素が重なって多数にのぼることを表すという限定の仕方(日本語記述文法研究会 2009: 62,下線は筆者)

日本語記述文法研究会 (2009) の指摘は,非該当例の問題について「限定」という意味の下で説明しようと試みている。しかし,その説明には不十分な点がある。確かに,(31) の文は「コーヒーを出す」という事態が複数回生じていなければ成立せず,その点で (33b) において述べられているように「何度も繰り返されること」「多数にのぼること」を表していると言える。しかし,その (33b) を (30) の下位分類としていることには問題がある。具体的に言えば,「何度も繰り返されること」「多数にのぼること」 ((33b)) と「唯一のものである」「ほかのものを排除する」 ((30)) ということには隔たりがある。それにもかかわらず,日本語記述文法研究会 (2009) ではその点について特段の言及がなされていない。この点に鑑みれば,日本語記述文法研究会 (2009) の説明は十分とは言えない18

4.2 澤田 (2007) の指摘について

次に,澤田 (2007)菊地 (1983) が挙げる次の (34) の文について (35) のように述べている。

  • (34) この一週間そばバカリ食べたよ。 (菊地 1983: 58,下線は筆者)

  • (35) 「ばかり」を使用する第一の目的は,「毎日そばを食べた」とカテゴリーを限定するというより,話し手が「この一週間を思い起こせば,よくそばを食べた,それは通常の一週間より多すぎた」ということを伝える方が重要であり,その二次的な効果として明示された要素に対比される要素(明示された要素以外にその現象を成り立たせる可能性のある要素)がその観察された中に少なかった。または,なかったと伝えることになる。派生的に,限定的解釈がでてくるのである。 (澤田 2007: 118-119,下線は筆者)

このように,澤田 (2007) は,「ばかり」は「通常より多い」ということを表すのであり,「限定(的解釈)」はそこから「派生」する「二次的な効果」であると捉えている。

ここで注目したいのは,「ばかり」が設定する集合と非該当例の関係である。(35) では,「ばかり」は「明示された要素に対比される要素」が「観察された中に少なかった」「または,なかった」ということを伝えるとされている。しかし,「ばかり」が設定する集合との関係を考えた場合,当該の要素がその集合の内部に存在するのか外部に存在するのかという点において,この指摘は曖昧である。これに対し,本稿では,非該当例は「ばかり」が設定する集合の内部には存在しないと考える。それは次の現象が示唆している。

  • (36) 「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合,当該の数量詞が示す事物の数量の中において非該当例の存在が許容されない。(=(19))

前述の通り,「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合,その数量詞は「ばかり」が設定する主観的な集合に含まれる事態の数量を表すが ((29)),その集合の内部に非該当例が存在し得るのであれば,次の文も,場合によっては「1000」の「購入する」という事態の中に非該当例(「赤いシャツを購入する」)が含まれていても成立するということになるが,次の文がそうした状況下では成立しないことは前述の通りである。

  • (37) 【白いシャツを900枚,赤いシャツを100枚購入した場合】

  • # 白いシャツばかり1000 枚購入した。 (=(4)(16b)(27b))

4.3 本稿の主張

以上を踏まえ,ここで本稿における「ばかり」と「限定」,「ばかり」と非該当例の関係について,日本語記述文法研究会 (2009)澤田 (2007) との違いを明確にした形で述べる。本稿の主張は次の通りである。

  • (38) とりたて詞「ばかり」は「限定」を表し,非該当例は「ばかり」が問題にする集合の外

  • 部においてのみその存在が許容され得る。 (=(7))

本稿では,「ばかり」は「限定」,即ちある集合の内部において,とりたて詞がとりたてる要素が存在し,それ以外の要素(非該当例)が存在しない ((1)) ことを表すと主張する。ただし,その「限定」は「認識的際立ち性」などに起因して形成される主観的な集合の内部に対してのものである。従って,客観的な集合の内部に非該当例が存在していても,それが(「認識的際立ち性」を持たないが故に)「ばかり」が設定する主観的な集合に含まれなければ,「ばかり」は用いられ得る。つまり,本稿の主張で言えば,非該当例は「ばかり」が設定する主観的な集合の外部に,言わば「ばかり」が言及・関知しない存在として許容されるということになる。

本稿の主張は日本語記述文法研究会 (2009) と同様に「ばかり」における非該当例の問題を「限定」という枠組みの中で説明するものであるが,日本語記述文法研究会 (2009) が「ばかり」による「限定」を2つのタイプに分けた上で説明を試みているのに対し,本稿は「限定」のタイプを分けることはせず,関係する集合を2つに分けるという点で異なる。

また,本稿はとりたてる要素が「多い」場合に「ばかり」が用いられる(用いられやすい)と考える点で澤田 (2007) と一致している (3.1 節)。しかし,澤田 (2007) は「多い」ということを伝えるのが「重要」であり,「限定(的解釈)」は「二次的」と位置づけているのに対し,本稿は「限定」が「二次的」とは捉えず,また,「多い」というのは「ばかり」が集合を設定するに当たっての前提条件であると考える点で異なる。

以上,本稿の立場は「限定」の定義を1つに絞ることができる点,先行研究においてやや曖昧であった「限定」に関わる集合に対する非該当例の位置づけを相対的に明確にできる点でメリットがあると考える。

5. おわりに

本稿では,「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合に当該の数量詞が示す事物の数量の中において非該当例の存在が許容されない現象に注目し,遊離数量詞が「ばかり」によって設定される主観的な集合に含まれる事態の数量を表すということを明らかにした上で,「ばかり」は「限定」を表すということを主張した。

また,本稿では,佐藤 (2017) の指摘を踏まえ,「ばかり」が問題にするのは世界を反映する予め確立された客観的な集合ではなく,自己の経験に根差して形成される主観的な集合であると捉えることにより,「限定」という意味の下で非該当例の問題が説明されると論じた。これは,「ばかり」の意味記述においては,その意味の対象となる集合(以下,対象集合)が重要となることを示しているが,この対象集合という視点の有用性は,「ばかり」の意味記述に限られるものではないと考える。まず挙げられるのは,他のとりたて詞の意味記述に当たっての有用性である。管見の限り,従来のとりたて詞研究では,とりたて詞各語について対象集合が詳細に議論されることや,それぞれの対象集合の設定のされ方の異同を本格的に取り上げた考察はほとんど行われていない。他のとりたて詞についても対象集合に関する考察を深めることで,個別のとりたて詞の意味やとりたて詞全体の意味体系の記述の精緻化が可能となろう。また,とりたて詞に留まらず,非該当例を許容しないとされる諸形式の意味記述に当たってもこの視点が有用であると考えられる。例えば,全称量化詞などと呼ばれる「全部」「みんな」,さらに「常に」「いつも」などは,基本的には非該当例を許容しないとされるが,「みんな」や「いつも」など一部の形式については非該当例を許容し得る。このこと自体は既に佐藤 (2017) で指摘されており,意味的な観点からその要因を明らかにしようとする研究も存在する(大塚 20202021)。しかし,対象集合に注目して再検討することで,先行研究において未だ解明されていない点について説明を与えることが可能になると考える。これらについては稿を改めて論じることとする。

データ可用性

本論文の研究結果の基礎となるデータは,すべて本論文中に示されており,追加のソースデータは必要とされていない。例外として,注4で示したデータ絞り込みの結果,判断を加えた 42 例の提示は,国立国語研究所による現代日本語書き言葉均衡コーパス (BCCWJ) 「中納言」より入手できる。同コーパス利用には登録が必要だが,他の研究者も著者と同じようにデータにアクセスできる。登録方法については https://chunagon.ninjal.ac.jp/auth/login?service=https%3A%2F%2Fchunagon.ninjal.ac.jp%2Fj_spring_cas_security_check を参照されたい。

謝辞

本稿は,国際研究集会「次世代の日本研究―国際的協働研究と研究交流―」(2021 年 3 月 21 日,オンライン)における口頭発表の内容に加筆・修正を施したものである。発表に際し,貴重なご意見を賜った方々に感謝申し上げる。

V2における著者所属変更について

大塚貴史 筑波大学からの異動のため

大東文化大学 外国語学部 日本語学科

Department of Japanese Language, Faculty of Foreign Languages, Daito Bunka University, Itabashi-ku, Tokyo, 175-8571, Japan

白川稜 筑波大学大学院修了のため

愛国学園大学 人間文化学部(非常勤)

Faculty of Human and Cultural Sciences, Aikoku Gakuen University, Yotsukaido, Chiba, 284-0005, Japan

橋本修と沼田善子の所属に変更はない。

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Otsuka T, Shirakawa R, Hashimoto O and Numata Y. “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]. F1000Research 2022, 10:1276 (https://doi.org/10.12688/f1000research.55582.2)
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PUBLISHED 04 Jul 2022
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Reviewer Report 16 Aug 2022
Yasuto Kikuchi, Faculty of Letters, Kokugakuin University, Tokyo, Japan 
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1 主な論点の確認

前稿については、査読者の査読に対して、著者の一人からの回答中に、著者の趣旨を査読者が正しく理解していない旨の指摘が(わかりにくい書き方をしてしまったとの「お詫び」とともに)あったので、今回の稿については、改めて注意して読んだつもりである。
まず、本稿の主な論点についての査読者の理解を、査読者の言葉でできるだけ平易に述べて確認することから始める。

1)バカリは一般に「非該当例」を許容する(先行諸研究の指摘の通り)。

2)バカリが「非該当例」を許容する理由/原理については、定延(2001)と佐藤(2017)にそれぞれ説明がある。本稿は佐藤の説明に従う。佐藤の説明の中核的な内容は、バカリは、話者の経験に基づいて〈認識的際立ち性〉を有する事態の主観的な集合を形成して「当該の事態バカリ」と捉えるものなので、客観的事態と比べれば「非該当例」が生じる、というものである。

3)遊離数量詞と共起するバカリは「非該当例」を許容しない(本稿の発見)。

4)本稿は、3)の理由を、次のようなルールによると考える。
「バカリと遊離数量詞が共起するとすれば、遊離数量詞は〈バカリの設定する集合(佐藤のいう主観的な集合)の事態の数〉を表すものとしてのみ現れうる。バカリと共起する遊離数量詞が〈客観的な集合の事態の数〉を表すことはできない。」(本稿(29)(36)と同趣旨。述べ方を少し変えた。こちらのほうがわかりやすいのではないか。)

5)4)は、2)で見た、遊離数量詞を伴わない場合のバカリの性質と符合する。

6)遊離数量詞を含まない場合と含む場合とでは、「非該当例」の許容について、1) 3)のような相違があるが、5)の意味で、遊離数量詞のある場合のバカリが ことのほか特別な振る舞いをしていると見る必要はなく、遊離数量詞の有無にかかわらず、バカリ自体は一元的に捉え得ると考える。

7)6)のように見れば、遊離数量詞の有無にかかわらず(=「非該当例」の不許容・許容にかかわらず)、バカリの意味を「限定」と見てよいと考える。
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Kikuchi Y. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]. F1000Research 2022, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.134652.r142986)
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Reviewer Report 25 Jul 2022
Takuzo Sato, Gakushuin Women's College, Tokyo, Japan 
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Sato T. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]. F1000Research 2022, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.134652.r142989)
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Reviewer Report 21 Jul 2022
Toshiyuki Sadanobu, Faculty of Letters/Graduate School of Letters, Kyoto University, Kyoto, Japan 
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丁寧にリプライしてくださってありがとうございました。
私が指摘した3つの問題点について、回答をいただき、対応していただきましたので、私としてはこれ以上の要求はありません。
ただし、用語について、これでよいのかと感じる点が1点ありますので、そのことだけ、要望として書き添えておきます。
要望というのは、「数量詞」という用語の用法についての表記です。
投稿者の認識および措置は、次のようになっているようです。
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Sadanobu T. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]. F1000Research 2022, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.134652.r142988)
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Reviewer Report 11 Jul 2022
Mieko Sawada, Faculty of Arts and Sciences, Kyoto Institute of Technology, Kyoto, Japan 
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Sawada M. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]. F1000Research 2022, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.134652.r142987)
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PUBLISHED 14 Dec 2021
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Reviewer Report 21 Jan 2022
Yasuto Kikuchi, Faculty of Letters, Kokugakuin University, Tokyo, Japan 
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1 査読者による要約
先行研究では、バカリは「限定」を表すとしばしば主張されてきたが、その一方で、バカリは「非該当例」を許容するとも指摘されており、この点で「限定」と捉えるのは不適当であるという指摘も行われてきた。この論文は、(1) 遊離数量詞を含む文のバカリは「非該当例」を許容しないという事実を指摘した、(2) (1)の事実について、なぜそうなのかという理由の説明を提示した、(3) (1)の事実をもとに、バカリは「限定」を表すと捉えるべきであると主張した[4.2]、の3点が骨子である。

2 評価できる点
(1)の事実の指摘[2.3.後半]は、最も評価してよい点である。
なおまた、取り上げるべき先行研究にほぼ粗漏はなく(ただし,後掲10参照)、先行研究への理解も適正のようである。

3 評価できるというほどでもないが、問題ではない点
(2)の理由の説明[3.3]は、内容としては成立はしているように思われる。
ただ、こうした趣旨のことを述べるのに、ここまで難しげに述べなければならないものか、という印象はある。多数の文法研究者に、こうした趣旨で説明文を書いてほしいという課題を課したら、もっとすっきりした答案がありうるように思う。その意味で、内容的には問題はないにせよ、評価できるというほどでもない、というレベルにとどまっている。

4 問題点
上記(3)の主張[4.2]は、残念ながら、十分な説得力をもつ論証を伴っていない。この点について、著者に理解してもらうために、以下に詳述する。

5 問題点の詳述
(1)により明らかになったのは、
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Kikuchi Y. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]. F1000Research 2022, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.59172.r112372)
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    菊地先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,可能な限りご回答申し上げます(以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております)。なお,すべてのご意見に対して十分なご回答をご用意することはできませんでしたが,第2稿では構成・論じ方を含めて修正を施しました。依然として不十分な点があるかと存じますが,その点につきましては改めてご指摘いただければ幸いです。

    1.「5 問題点の詳述」におけるご意見について
    ご意見をくださりありがとうございます。確かに,第1稿では,「ばかり」は遊離数量詞と共起する場合に「限定」を表し,遊離数量詞と共起しない場合は「限定」を表さないかのように述べられております。しかし,これは筆者の述べ方の不備によるものであり,本来の意図はそうではありませんでした。
    筆者は,「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合に非該当例が許容されないという現象について,“「ばかり」は(遊離数量詞との共起の有無を問わず)集合の内部に非該当例が無いことを表す(=「限定」を表す)”ということを示唆していると考えております。つまり,「ばかり」と数量詞の共起については,「ばかり」の「無標」のケース,あるいは「普通」のケースと捉えているのではなく,「ばかり」の意味について示唆的な現象を観察することできるケース(の1つ)と捉えております。第2稿では述べ方を全面的に修正し,この点が明確になるようにいたしました。

    2.「9 その他の問題点 例文の適否判断に疑問がある点」におけるご意見について
    確かに,第1稿(17b)を(17a)と同様に「#」と判定する話者が存在する可能性は否定できません。そうであれば,ご指摘いただいたように「数量情報との合致」が重要ということになると考えられます。一方で,相対的にはやはり(17b)の方が文脈的自然度は高いとも考えております(第2稿注12)。つまり,「数量情報との合致」が重要ではあるものの,その情報が「事態」の数量である場合にはより強固な「合致」が求められると考えております。

    3.「9 その他の問題点 澤田(2007)の紹介と論評の部分」におけるご意見について
    確かに,澤田(2007)は「ばかり」の振る舞いについて遊離数量詞と関連付けて議論しているわけではなく,それはご指摘の通り「その時点で留意されていなかった」ためであると思われます。しかし,澤田(2007)について,第1稿では遊離数量詞が生起する場合の現象に触れていない研究として取り上げているわけではなく,“「ばかり」の意味は「限定」ではないと主張する研究”として取り上げております。これは第1稿の主張と対立するものであるため,「澤田(2017)の指摘とその問題点」というタイトルで取り上げた次第です。
    ただし,第1稿は筆者の意図が十分に伝わりにくい記述になっておりました。また,第1稿における澤田(2007)の位置づけには不十分な点がございました。これらを踏まえ,第2稿では澤田(2007)との関係性に関わる部分の記述を修正いたしました(第2稿4.2節・4.3節)。
    なお,ご指摘の通り,澤田(2007)による「派生」「二次的」という表現を「語用論的」と言い換えていたことは不適切でしたので,第2稿ではこれを削除いたしました(第2稿4.2節(35)の直後)。ご指摘いただきありがとうございました。

    4.「10 参考文献」におけるご意見について
    安部(2000)を参考文献に加えました(第2稿注17,参考文献欄)。ご指摘いただきありがとうございました。
    Competing Interests: No competing interests were disclosed.
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    菊地先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,可能な限りご回答申し上げます(以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております)。なお,すべてのご意見に対して十分なご回答をご用意することはできませんでしたが,第2稿では構成・論じ方を含めて修正を施しました。依然として不十分な点があるかと存じますが,その点につきましては改めてご指摘いただければ幸いです。

    1.「5 問題点の詳述」におけるご意見について
    ご意見をくださりありがとうございます。確かに,第1稿では,「ばかり」は遊離数量詞と共起する場合に「限定」を表し,遊離数量詞と共起しない場合は「限定」を表さないかのように述べられております。しかし,これは筆者の述べ方の不備によるものであり,本来の意図はそうではありませんでした。
    筆者は,「ばかり」が遊離数量詞と共起する場合に非該当例が許容されないという現象について,“「ばかり」は(遊離数量詞との共起の有無を問わず)集合の内部に非該当例が無いことを表す(=「限定」を表す)”ということを示唆していると考えております。つまり,「ばかり」と数量詞の共起については,「ばかり」の「無標」のケース,あるいは「普通」のケースと捉えているのではなく,「ばかり」の意味について示唆的な現象を観察することできるケース(の1つ)と捉えております。第2稿では述べ方を全面的に修正し,この点が明確になるようにいたしました。

    2.「9 その他の問題点 例文の適否判断に疑問がある点」におけるご意見について
    確かに,第1稿(17b)を(17a)と同様に「#」と判定する話者が存在する可能性は否定できません。そうであれば,ご指摘いただいたように「数量情報との合致」が重要ということになると考えられます。一方で,相対的にはやはり(17b)の方が文脈的自然度は高いとも考えております(第2稿注12)。つまり,「数量情報との合致」が重要ではあるものの,その情報が「事態」の数量である場合にはより強固な「合致」が求められると考えております。

    3.「9 その他の問題点 澤田(2007)の紹介と論評の部分」におけるご意見について
    確かに,澤田(2007)は「ばかり」の振る舞いについて遊離数量詞と関連付けて議論しているわけではなく,それはご指摘の通り「その時点で留意されていなかった」ためであると思われます。しかし,澤田(2007)について,第1稿では遊離数量詞が生起する場合の現象に触れていない研究として取り上げているわけではなく,“「ばかり」の意味は「限定」ではないと主張する研究”として取り上げております。これは第1稿の主張と対立するものであるため,「澤田(2017)の指摘とその問題点」というタイトルで取り上げた次第です。
    ただし,第1稿は筆者の意図が十分に伝わりにくい記述になっておりました。また,第1稿における澤田(2007)の位置づけには不十分な点がございました。これらを踏まえ,第2稿では澤田(2007)との関係性に関わる部分の記述を修正いたしました(第2稿4.2節・4.3節)。
    なお,ご指摘の通り,澤田(2007)による「派生」「二次的」という表現を「語用論的」と言い換えていたことは不適切でしたので,第2稿ではこれを削除いたしました(第2稿4.2節(35)の直後)。ご指摘いただきありがとうございました。

    4.「10 参考文献」におけるご意見について
    安部(2000)を参考文献に加えました(第2稿注17,参考文献欄)。ご指摘いただきありがとうございました。
    Competing Interests: No competing interests were disclosed.
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Reviewer Report 06 Jan 2022
Mieko Sawada, Faculty of Arts and Sciences, Kyoto Institute of Technology, Kyoto, Japan 
Approved with Reservations
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本論文は、「ばかり」が非該当例を許容しない現象があることを指摘した点は、学術的新規性が高いと判断する。本論文が主張するように、(27)は非該当例を含まない例として解釈できる。

(27) 白いシャツばかりを1000 枚購入した。

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Sawada M. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]. F1000Research 2022, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.59172.r112374)
NOTE: it is important to ensure the information in square brackets after the title is included in all citations of this article.
  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    澤田先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    「ばかり」が遊離数量詞と共起しても非該当例を含む場合があるというご指摘について
    確かに,ご提示いただいた①②の例はサル以外のキャラクター(非該当例)が出た場合やカワハギ以外(非該当例)が釣れた場合でも成立すると思われます。
    ①    10回ガチャやったら,サルばかりが5匹出た。
    ②    この間,カワハギばかりを10枚釣ったよ。
    しかし,“「ばかり」が遊離数量詞と共起した場合は非該当例を許容しない”という筆者の主張は,①の例で言えば,10回出たキャラクターの中にサル以外(非該当例)は含まれないということではなく,“遊離数量詞「5匹」が表す数量の中にサル以外(非該当例)は含まれない”ということを示すものです。同様に,②の例で言えば,“遊離数量詞「10枚」が表す数量の中にカワハギ以外(非該当例)は含まれない”ということを示すものです。特に①の例は「サルが5回でた場合の発話」ということでご紹介いただきましたので,これは筆者の主張を支持する例であると考えております。しかし,第1稿では筆者の主張がやや曖昧になっている箇所がございましたので,第2稿ではその点を修正いたしました(第2稿1節(5)の直後や2.3節(19)などを始めとする複数箇所)。
    また,確かに①②の例と次の③の例は「話し手のコントロール」や行為の複数性において差が認められると言えます。
    ③    白いシャツばかりを1000 枚購入した。
    しかし,前述の通り,筆者の主張は遊離数量詞が示す数量の中に非該当例が含まれないというものであり,その点では①②と③の間に差は認められません。従って,少なくとも「話し手のコントロール」が及ぶ事態であることと「行為が複数回」でないことを指して「特別な条件」とする場合においては,「『ばかり』を使用した文が非該当例を含まない解釈は特別な条件が必要」ということにはならないと考えます。
    一方,ご指摘いただいた内容は,遊離数量詞が表す数量と事態の総数量との関係において,①②の例と③の例で差があるということを示していると理解いたしました。具体的には,①②の場合は「5匹」「10枚」が「出た」「釣った」の総数量と(必ずしも)一致しない(出た数>5匹,釣った数≧10枚)のに対し,③の場合は「1000枚」が「購入した」の総数量と基本的に一致する(購入した数=1000枚)ということです。つまり,ご指摘に照らせば,「話し手のコントロール」が及ばない事態,かつ「行為が複数回」である場合(①②)は遊離数量詞が表す数量と事態の総数量が(必ずしも)一致せず,反対に「話し手のコントロール」が及ぶ事態,かつ「行為が複数回」でない場合(③)はそれらが基本的に一致するということになります。これは数量詞研究で言われるところの「全体量」と「部分量」の議論にも関わる可能性があり,大変興味深い現象ですが,今回の議論の範囲を超えていると判断し,第2稿では扱いませんでした。
    Competing Interests: No competing interests were disclosed.
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
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    澤田先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    「ばかり」が遊離数量詞と共起しても非該当例を含む場合があるというご指摘について
    確かに,ご提示いただいた①②の例はサル以外のキャラクター(非該当例)が出た場合やカワハギ以外(非該当例)が釣れた場合でも成立すると思われます。
    ①    10回ガチャやったら,サルばかりが5匹出た。
    ②    この間,カワハギばかりを10枚釣ったよ。
    しかし,“「ばかり」が遊離数量詞と共起した場合は非該当例を許容しない”という筆者の主張は,①の例で言えば,10回出たキャラクターの中にサル以外(非該当例)は含まれないということではなく,“遊離数量詞「5匹」が表す数量の中にサル以外(非該当例)は含まれない”ということを示すものです。同様に,②の例で言えば,“遊離数量詞「10枚」が表す数量の中にカワハギ以外(非該当例)は含まれない”ということを示すものです。特に①の例は「サルが5回でた場合の発話」ということでご紹介いただきましたので,これは筆者の主張を支持する例であると考えております。しかし,第1稿では筆者の主張がやや曖昧になっている箇所がございましたので,第2稿ではその点を修正いたしました(第2稿1節(5)の直後や2.3節(19)などを始めとする複数箇所)。
    また,確かに①②の例と次の③の例は「話し手のコントロール」や行為の複数性において差が認められると言えます。
    ③    白いシャツばかりを1000 枚購入した。
    しかし,前述の通り,筆者の主張は遊離数量詞が示す数量の中に非該当例が含まれないというものであり,その点では①②と③の間に差は認められません。従って,少なくとも「話し手のコントロール」が及ぶ事態であることと「行為が複数回」でないことを指して「特別な条件」とする場合においては,「『ばかり』を使用した文が非該当例を含まない解釈は特別な条件が必要」ということにはならないと考えます。
    一方,ご指摘いただいた内容は,遊離数量詞が表す数量と事態の総数量との関係において,①②の例と③の例で差があるということを示していると理解いたしました。具体的には,①②の場合は「5匹」「10枚」が「出た」「釣った」の総数量と(必ずしも)一致しない(出た数>5匹,釣った数≧10枚)のに対し,③の場合は「1000枚」が「購入した」の総数量と基本的に一致する(購入した数=1000枚)ということです。つまり,ご指摘に照らせば,「話し手のコントロール」が及ばない事態,かつ「行為が複数回」である場合(①②)は遊離数量詞が表す数量と事態の総数量が(必ずしも)一致せず,反対に「話し手のコントロール」が及ぶ事態,かつ「行為が複数回」でない場合(③)はそれらが基本的に一致するということになります。これは数量詞研究で言われるところの「全体量」と「部分量」の議論にも関わる可能性があり,大変興味深い現象ですが,今回の議論の範囲を超えていると判断し,第2稿では扱いませんでした。
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Reviewer Report 06 Jan 2022
Takuzo Sato, Gakushuin Women's College, Tokyo, Japan 
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「ばかり」の意味解釈に数量詞をからませて分析している着眼に新規性があり、非常に興味深い。また、「ばかり」の、機能をあくまで「限定」として位置づけたうえで、例外的ともみえる現象に対して統一的な説明を与えようとする結論も説得的である。

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Sato T. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]. F1000Research 2022, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.59172.r112370)
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
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    佐藤先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    1.非該当例解釈が許容されない例文の解釈について
    ご指摘の通り,「シャツばかり1000枚購入した」の一般的な解釈は「“1000枚のシャツ購入”という事態が1回生じた」であると思われます。それにもかかわらず「“購入”という事態が1000回生じた」という解釈を示したのは,いわゆる「探索」が1000回行われた(遊離数量詞の示す数が「探索」の数と一致する)ということを示す意図がございました。
    なお,筆者はこのように「探索」の数(「ばかり」が形成する主観的集合の要素の数)に関与するのは遊離数量詞(副詞位置に生起する数量詞)に限られると考えておりました。例えば,女性400人と男性100人を招待した場面では,次のように遊離数量詞が生起する①は不自然であり,そうでない数量詞(以下,非遊離数量詞)が生起する②は自然であると考えておりました。
    【女性を400人,男性を100人招待した場合】
    ① # 女性ばかり500招待した。
    ②    招待した500は女性ばかりだ。
    しかし,菊地先生に頂いたご意見により,当該の場面では②も不自然と判定する話者も存在することが分かりました。これは,非遊離数量詞も「探索」の数に関与し得ることを示唆しております。
    ただし,そうした話者が存在しても,少なくとも①よりは②の方が許容されやすいと考えております。つまり,“数量詞が生起した場合は,それが示す数が「探索」の数と一致し得るが,特に遊離数量詞は(「探索」と親和性がある「事態」と密接に関わるため)その含意が生じやすい”と考えております。

    2.非該当例許容解釈の不成立と複数性の制約について
    筆者は「複数性の制約」について,概ね“「ばかり」は事態(≒探索)が複数である場合にのみ用いられる”という制約であると理解しております。「シャツばかり1000枚購入した」で言えば,例え1000枚のシャツを一度に購入した(行為の回数=単数)という場合でも,「シャツである」という結果が得られる「探索」が“複数”行われていれば当該の文が成立するため,その意味では今回の考察課題にも「複数性の制約」が関わっていると捉えられます。
    しかし,非該当例許容解釈ができない要因と「複数性の制約」については関係性を見出しておりません。筆者の理解が及んでいない,あるいはそもそも当該の制約に関する理解が不十分であるという可能性がありますが,少なくとも現時点ではそのように考えております。大変恐れ入りますが,修正した第2稿を今一度ご確認いただき,非該当例許容解釈ができない要因についてはやはり「複数性の制約」と関連づけて説明する方が自然という場合には,改めてご指摘いただきたく思います。
    Competing Interests: No competing interests were disclosed.
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    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    佐藤先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    1.非該当例解釈が許容されない例文の解釈について
    ご指摘の通り,「シャツばかり1000枚購入した」の一般的な解釈は「“1000枚のシャツ購入”という事態が1回生じた」であると思われます。それにもかかわらず「“購入”という事態が1000回生じた」という解釈を示したのは,いわゆる「探索」が1000回行われた(遊離数量詞の示す数が「探索」の数と一致する)ということを示す意図がございました。
    なお,筆者はこのように「探索」の数(「ばかり」が形成する主観的集合の要素の数)に関与するのは遊離数量詞(副詞位置に生起する数量詞)に限られると考えておりました。例えば,女性400人と男性100人を招待した場面では,次のように遊離数量詞が生起する①は不自然であり,そうでない数量詞(以下,非遊離数量詞)が生起する②は自然であると考えておりました。
    【女性を400人,男性を100人招待した場合】
    ① # 女性ばかり500招待した。
    ②    招待した500は女性ばかりだ。
    しかし,菊地先生に頂いたご意見により,当該の場面では②も不自然と判定する話者も存在することが分かりました。これは,非遊離数量詞も「探索」の数に関与し得ることを示唆しております。
    ただし,そうした話者が存在しても,少なくとも①よりは②の方が許容されやすいと考えております。つまり,“数量詞が生起した場合は,それが示す数が「探索」の数と一致し得るが,特に遊離数量詞は(「探索」と親和性がある「事態」と密接に関わるため)その含意が生じやすい”と考えております。

    2.非該当例許容解釈の不成立と複数性の制約について
    筆者は「複数性の制約」について,概ね“「ばかり」は事態(≒探索)が複数である場合にのみ用いられる”という制約であると理解しております。「シャツばかり1000枚購入した」で言えば,例え1000枚のシャツを一度に購入した(行為の回数=単数)という場合でも,「シャツである」という結果が得られる「探索」が“複数”行われていれば当該の文が成立するため,その意味では今回の考察課題にも「複数性の制約」が関わっていると捉えられます。
    しかし,非該当例許容解釈ができない要因と「複数性の制約」については関係性を見出しておりません。筆者の理解が及んでいない,あるいはそもそも当該の制約に関する理解が不十分であるという可能性がありますが,少なくとも現時点ではそのように考えております。大変恐れ入りますが,修正した第2稿を今一度ご確認いただき,非該当例許容解釈ができない要因についてはやはり「複数性の制約」と関連づけて説明する方が自然という場合には,改めてご指摘いただきたく思います。
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Reviewer Report 20 Dec 2021
Toshiyuki Sadanobu, Faculty of Letters/Graduate School of Letters, Kyoto University, Kyoto, Japan 
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論文を読ませていただきました。遊離数量詞構文において「ばかり」が「非該当例」を許容しなくなるという観察は意義あるものと判断します。が、この論文が(賛否は別として)一つの論考として成り立つには、クリアしなければならない問題もあると判断し、「条件付き承認」と判定します。以下、問題について説明し、提案を書きます。ご参考になれば幸いです。

問題1:前提とされている概念「意味」がはっきりしない。
論文では、「「ばかり」の「意味」とは何か?」という論点が設定され、この論点をめぐる形で考察が展開されています。が、その「意味」とは、どういうものを含み、どういうものを含まないのでしょうか? ある説を対立説(要旨のことばで言えば「「ばかり」の意味を限定ではないと示唆・主張する研究」)と位置付けて反駁したり、自説を主張したりするには、まずこの点が明らかにされる必要があると考えます。
仮にある研究者が「「ばかり」は限定を意味する」あるいは「「ばかり」は限定を意味しない」と明記していても、その研究者の「意味」の概念を、著者の「意味」観と比べ、対応づけを検討しなければ、その研究者の見解を自説の仲間、あるいは対立説に位置付けることはできないでしょう。
論文が挙げている先行研究の中で、対立説と位置付けられているものは唯一、澤田(2007)だけですが、これも、本当に対立説と言えるのか、論文を読んでいて確信できませんでした。というのは、澤田(2007)の考えとして引用されている第4.1.2節の(35)は、「ばかり」を発する話し手の動機(「目的」)について述べられたものであって、「ばかり」の意味について述べられたものではないからです。その末尾の部分には、限定的解釈が「派生的」にせよ「でてくる」とも書かれています。これを本当に、「「ばかり」は限定を意味しない」と述べたものと読み込んでよいのでしょうか。
以上のことを、著者自身自覚されているのではないかと思わせる、記述の弱さが論文には見られます。もし、どうしても澤田(2007)を対立説とみなして「ばかり」の意味論にこだわるのであれば、それらは改めるべきでしょう。具体的に言うと、要旨欄の「示唆・主張」は「示唆・」を削除して「主張」とするべきでしょうし、対立説は第4.1.2節ではなく第1節で真っ先に紹介すべきでしょう。第2節末尾の「ばかりの意味についても考察する」は、これこそがメインのはずですから、「も」は削除すべきでしょう。

問題2:遊離数量詞を持ち出す意義がはっきりしない。
遊離数量詞を持ち出す意義も、はっきり理解できませんでした。これも、論点として「ばかり」の意味論が設定されている結果ではないでしょうか。というのは、「「ばかり」の意味=限定」説は、遊離数量詞を持ち出さなくても、他の、ずっと簡単な形でも主張できるからです。以下、それを具体的に2つ述べます。
その1:「厳密に」「厳密な話」などの語句が「~ばかり」にかかるだけで、「非該当例」は許容されにくくなります。例:うどん以外も食べていた場合、「先週はうどんばかり食べてたよ」と比べて「先週は厳密な話、うどんばかり食べてたよ」は自然さが低い。
その2:「非該当例」の存在が会話相手に知られた場合、相手に反駁され得ます。例:うどん以外も食べていたことが聞き手に知られた場合、「先週はうどんばかり食べてたよ」と言えば、「うどんばかりじゃないじゃん。×××も食べてたじゃん」などと反駁される可能性があります。
いずれも、「非該当例」が、いわば「非公式のもの」でしかないことを示すものです。こうした「非該当例」の「非公式性」は、多くの研究者に共有されており、(「意味」の定義はさまざまであれ)「「ばかり」の意味=限定」説は広く受け入れられているものではないか、というのが評者の認識です。

問題3:仮説がアドホックに感じられる。
評者の理解によれば、著者は、遊離数量詞の効果で「非該当例」が許容されなくなるという自身の観察を、次の2段階の仮説によって説明することで「ばかり」の意味論につなげようとしています。以下、評者のことばで述べます。(ちなみに「「現実世界の事態の数量」との(不)一致」という表現には、改善の必要を感じます。「もしあの時、白いシャツばかり10枚買っていたなら~」のような、仮定世界や反事実世界の話をも「現実世界」と言わねばならないことになってしまうからです。)
段階1:「ばかり」の話し手が想定する集合は、2種類あり得る。集合は、「当該文脈で想定される候補の集合」(=とりたて表現一般に想定される集合で、「非該当例」を含む)とは別に、「非該当例を排除した集合」でもよい。
段階2:「ばかり」の文に遊離数量詞が現れ、事態の数が明示される場合は、「非該当例を排除した集合」が想定できず、「当該文脈で想定される候補の集合」しか想定できなくなる。にもかかわらず、この場合、「非該当例」は許容されない。(だから「ばかり」は限定を意味する。)
ここでは、以上の2段階のうち、段階1について述べます。
この仮説(段階1)は、「限定を意味するはずの「ばかり」が「非該当例」を許容する」という謎を、「「ばかり」の話し手が想定する集合としては、「非該当例」を排除した集合が許容される」という、別の謎に変換しています。この変換については、佐藤(2017)が参考にされているとはいえ、論拠が出されておらず、アドホックに感じられます。
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HOW TO CITE THIS REPORT
Sadanobu T. Reviewer Report For: “Exclusivity” and quantifier float in bakari [version 2; peer review: 3 approved, 1 approved with reservations]. F1000Research 2022, 10:1276 (https://doi.org/10.5256/f1000research.59172.r112371)
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    定延先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    1.「意味」と澤田(2007)について
    ご指摘の通り,第1稿では「意味」という概念が「どういうものを含み、どういうものを含まない」のかということを明示しておりませんでした。このご指摘は,第1稿において,特に澤田(2007)との差を“「ばかり」の意味を限定とするか否か”という点に求めていることと密接に関係すると思われます。ご指摘いただき誠にありがとうございました。ご指摘については,「意味」一般について十全な定義に及ぶことはできませんでしたが,澤田(2007)と本稿との違いを明確に示すように改稿しました(第2稿4.3節第3段落)。
    改めた記述の内容をまとめると次のようになります。澤田(2007)はとりたてる要素が「多い」(あるいは「多すぎる」)ということを伝えるのが「ばかり」にとって重要であり,「限定」はその「二次的な効果」と述べております。この記述につきまして,当該要素が「多い」場合に「ばかり」が用いられるという点は筆者の立場と一致しております。しかしながら,「多い」ということを伝えるのが「重要」であり,「限定」が「二次的」という位置づけについては筆者の立場と異なります。具体的に言えば,筆者は「限定」が「二次的」とは考えず,また,「多い」というのは「ばかり」が集合を形成するに当たっての前提条件であると考えております。

    2.要旨欄と第2節の文言について
    ご指摘を踏まえ,第2節末尾の「ばかりの意味についても考察する」の「も」は削除いたしました(第2稿2.3節最終文)。なお,要旨を全面的に修正した都合上,第1稿の「示唆・主張」はそれ自体を削除いたしました。

    3.遊離数量詞を持ち出す意義について
    筆者は“「ばかり」は主観的集合の内部に非該当例が存在しないことを表す”ということが遊離数量詞共起下の現象から明らかになると考えており,その点に遊離数量詞を持ち出す意義を見出しております。ご指摘を踏まえ,第2稿ではこの点が(少なくとも第1稿に比べて)明確になるように修正いたしました(第2稿2.3節(17)の直後)。
    ところで,ご教示いただいた2つの例のうち,特に「『非該当例』の存在が会話相手に知られた場合、相手に反駁され得」るという例は,ご指摘の通り「『非該当例』が、いわば『非公式のもの』でしかないことを示すもの」であると考えます(同様の例は佐藤(2017: 3-4)でも指摘されていることを確認しております)。しかし,この例では“「非該当例」は「ばかり」によって設定される集合の内部に存在するのか外部に存在するのか”という点までは十分に捉えられないものと思われます。これに対し,筆者は遊離数量詞共起下の現象を観察することで“「非該当例」は「ばかり」によって設定される集合の外部に存在する(内部には存在しない)”ということが明らかになると考えております。
    なお,「『厳密に』『厳密な話』などの語句が『~ばかり』にかかるだけで、『非該当例』は許容されにくくな」るというご指摘については検討の余地があると考えます。「厳密に」が介入すれば非該当例を許容しないということであれば,次の例文①②③はいずれも自然に成立することが予測されますが,「ばかり」と共起する③はやや不自然になるように思われます。
    ①    先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんだけ食べてました。
    ②    先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんしか食べませんでした。
    ③ ? 先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんばかり食べてました。
    これは,「ばかり」が主観的集合を問題にする(客観的集合ではないことを含意する)のに対し,「厳密に」は客観的集合を問題にする(主観的集合の設定を許さない)ためであると考えます。

    4.「現実世界の事態の数量」という表現について
    ご指摘の通り,「「現実世界の事態の数量」との(不)一致」という表現,特に「現実世界」という表現は不適切でした。ご指摘いただきありがとうございました。第2稿では内容を修正した都合上,この表現自体を削除いたしました。

    5.体験談では嘘と思われない程度の誇張や脚色がなされやすいこととの関わりについて
    「体験談」では「嘘と思われない程度の誇張や脚色がなされやすい」ため,「個人的な体験として語る場合、非該当例が許容されやすい」という見方については,筆者も関連性理論で言われる「ルース・トーク」(loose ... Continue reading
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  • Author Response 04 Jul 2022
    ヨシコ オクツ, Faculty of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, 305-8571, Japan
    04 Jul 2022
    Author Response
    定延先生

    お忙しい中,拙稿の査読のために貴重なお時間を割いていただき,誠にありがとうございました。早速多くのご意見を頂いたにもかかわらずご回答が遅くなってしまい,大変失礼いたしました。以下,頂いたご意見につきまして,ご回答申し上げます。なお,以下ではご意見を頂いた原稿を「第1稿」,修正した原稿を「第2稿」と呼称しております。

    1.「意味」と澤田(2007)について
    ご指摘の通り,第1稿では「意味」という概念が「どういうものを含み、どういうものを含まない」のかということを明示しておりませんでした。このご指摘は,第1稿において,特に澤田(2007)との差を“「ばかり」の意味を限定とするか否か”という点に求めていることと密接に関係すると思われます。ご指摘いただき誠にありがとうございました。ご指摘については,「意味」一般について十全な定義に及ぶことはできませんでしたが,澤田(2007)と本稿との違いを明確に示すように改稿しました(第2稿4.3節第3段落)。
    改めた記述の内容をまとめると次のようになります。澤田(2007)はとりたてる要素が「多い」(あるいは「多すぎる」)ということを伝えるのが「ばかり」にとって重要であり,「限定」はその「二次的な効果」と述べております。この記述につきまして,当該要素が「多い」場合に「ばかり」が用いられるという点は筆者の立場と一致しております。しかしながら,「多い」ということを伝えるのが「重要」であり,「限定」が「二次的」という位置づけについては筆者の立場と異なります。具体的に言えば,筆者は「限定」が「二次的」とは考えず,また,「多い」というのは「ばかり」が集合を形成するに当たっての前提条件であると考えております。

    2.要旨欄と第2節の文言について
    ご指摘を踏まえ,第2節末尾の「ばかりの意味についても考察する」の「も」は削除いたしました(第2稿2.3節最終文)。なお,要旨を全面的に修正した都合上,第1稿の「示唆・主張」はそれ自体を削除いたしました。

    3.遊離数量詞を持ち出す意義について
    筆者は“「ばかり」は主観的集合の内部に非該当例が存在しないことを表す”ということが遊離数量詞共起下の現象から明らかになると考えており,その点に遊離数量詞を持ち出す意義を見出しております。ご指摘を踏まえ,第2稿ではこの点が(少なくとも第1稿に比べて)明確になるように修正いたしました(第2稿2.3節(17)の直後)。
    ところで,ご教示いただいた2つの例のうち,特に「『非該当例』の存在が会話相手に知られた場合、相手に反駁され得」るという例は,ご指摘の通り「『非該当例』が、いわば『非公式のもの』でしかないことを示すもの」であると考えます(同様の例は佐藤(2017: 3-4)でも指摘されていることを確認しております)。しかし,この例では“「非該当例」は「ばかり」によって設定される集合の内部に存在するのか外部に存在するのか”という点までは十分に捉えられないものと思われます。これに対し,筆者は遊離数量詞共起下の現象を観察することで“「非該当例」は「ばかり」によって設定される集合の外部に存在する(内部には存在しない)”ということが明らかになると考えております。
    なお,「『厳密に』『厳密な話』などの語句が『~ばかり』にかかるだけで、『非該当例』は許容されにくくな」るというご指摘については検討の余地があると考えます。「厳密に」が介入すれば非該当例を許容しないということであれば,次の例文①②③はいずれも自然に成立することが予測されますが,「ばかり」と共起する③はやや不自然になるように思われます。
    ①    先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんだけ食べてました。
    ②    先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんしか食べませんでした。
    ③ ? 先週はうどんをよく食べてました。いや,厳密にはうどんばかり食べてました。
    これは,「ばかり」が主観的集合を問題にする(客観的集合ではないことを含意する)のに対し,「厳密に」は客観的集合を問題にする(主観的集合の設定を許さない)ためであると考えます。

    4.「現実世界の事態の数量」という表現について
    ご指摘の通り,「「現実世界の事態の数量」との(不)一致」という表現,特に「現実世界」という表現は不適切でした。ご指摘いただきありがとうございました。第2稿では内容を修正した都合上,この表現自体を削除いたしました。

    5.体験談では嘘と思われない程度の誇張や脚色がなされやすいこととの関わりについて
    「体験談」では「嘘と思われない程度の誇張や脚色がなされやすい」ため,「個人的な体験として語る場合、非該当例が許容されやすい」という見方については,筆者も関連性理論で言われる「ルース・トーク」(loose ... Continue reading

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Version 2
VERSION 2 PUBLISHED 14 Dec 2021
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Approved - the paper is scientifically sound in its current form and only minor, if any, improvements are suggested
Approved with reservations - A number of small changes, sometimes more significant revisions are required to address specific details and improve the papers academic merit.
Not approved - fundamental flaws in the paper seriously undermine the findings and conclusions
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